彼女に「先輩と飲んでた」って言ったら「元カノやろ」って言われた_ リビングに入ると、除光液の匂いがした_ 彼女は昨日、明日のデートのためにネイルサロンに行っていた_ 「明日の映画さ、友達と行って来るから」 彼女はコットンを爪に押し当てて、ネイルを落としていた_ 「え……」 俺は荷物を床に置いて、絨毯にひざをつけた_ 「なんでいま、嘘ついたわけ?」 彼女は、コットンを潰しながら言った_ 「電車、21時15分のやつ、私も乗ってたんだけど?」 彼女と目が合った_ ベランダが網戸になっていて、遠くからバイクの音がした_ 「あんた前に、元カノのチェキ捨て忘れてたじゃん?」 彼女が、除光液の蓋を閉めながら言った_ 「あの子さ、動いてるとより可愛く見えるタイプだね?」 彼女は笑みを浮かべて、天井に手のひらを向けた_ 「で? なに話してたの?」 元カノと今日、駅のホームで偶然会った_ 軽く雑談をして、俺は違う車両に乗ろうとした_ それなのに、 「なんか、がんになったらしくて」 俺は、彼女の爪を見つめた_ 「で?」 彼女は、コットンをゴミ箱に投げた_ 「病院から逃げてるって言うから、電車で話聞いてた」 「嘘やろ」彼女は鼻で笑った_ 「あんたと話したいから、病人のふりしたんやろ」 「いや、それはないと思う」俺はテーブルに手をつけた_ 「あっちにはちゃんと彼氏がいるから」 「だからなに? それが嘘つかない理由になるわけ?」 「うん……」 「どうせあんたも同情するふりして、まだ好きなんやろ?」 「それはない」 「ラインもまだ、繋がってるんじゃないの?」 彼女は立ち上がって、スマホを見つめた_ 「下に友達来たみたいだから、出るね」 「出るって、いまから?」 「うん、荷物とかはまた取りに来るから」 「待ってよ」 「待ってたよ? でもそっちが嘘ついたんじゃん」 彼女は背中を向けて、カバンを手に取った_ 「俺、ラインブロックしてるよ?」 「でも、ブロックリストには残ってるやろ」 「それは、わからない……」 俺は、下を向いた_ 「でも、俺の気持ちが戻ることは絶対にない」 顔を上げると、扉の開く音がした_ 「私、話しかけずにちゃんと待ってたのに」 彼女はそう言い残して、部屋を出て行った_ 俺は床に手をついて、顔を伏せた_ ベランダから車のエンジン音がして、振り返ると、スタバの紙袋が倒れていた_ 中には、バスクチーズケーキが入っていた_ 記念日でもないのに俺は、ケーキを買った_ 申し訳ないと思ってたくせに、俺は彼女に嘘をついた_ 最初から、元カノのことなんかほっとけばよかった_ 電車、乗らなきゃよかった_ 元カノと出会う前に、彼女と出逢いたかった_ リビングには、コットンが落ちていた_ 手を伸ばすと、ゴミ箱のそばにレシートが落ちていた_ 『STARBUCKS』 『バスクチーズケーキ』 『2点』 俺はキッチンに向かった_ 冷蔵庫を開けると、チーズの匂いがした_ 彼女は最初から、怒るつもりじゃなかった_ レシートには『21:35』と書かれていた_ 電車で俺を見つけたあとに、彼女はスタバに寄っていた_ 俺が帰ってきたとき、ソファの上にはチェックのワンピースが用意されていた_ 彼女は、ネイルを落としていた_ 『おかえり、なんか食べてきた?』 あのとき5秒、彼女は待ってくれた_ それなのに俺は、 『先輩と飲んでた』 嘘をついた_ テーブルの上には、映画の前売り券が残されていた_ 手に取ると、足の指になにかが触れた_ テーブルの下を覗くと、ちいさな粒が光って見えた_ それは、この部屋で初めて塗ってあげた、レモンイエローのマニキュアだった_ 2026/05/23に公開52,204 回視聴 2.71%1,3034彼氏に「友達と飲んでた」って言ったら「元カレでしょ」って言われた_ 真っ暗なリビングで彼氏は、テレビを観ていた_ 「とりあえず、座って話そうか」 彼氏はソファから腰を上げて、となりを空けた_ 私はカバンを床に置いて、ゆっくりと顔を上げた_ 「はい、こっち来て」 彼氏はソファを、軽く2回叩いた_ 私は、テレビの灯りだけを頼りにソファに座った_ 流れていた映画は、一緒に観ようって約束してたやつだった_ エンドロールが始まって、曲が流れた_ 「まずさ、帰って来るの遅すぎね」 「ごめん……」 私は、床を見つめた_ 「あと、お酒飲むの今日から禁止ね」 「え……」 「あ、別れるとでも思った? 俺は逃がさないよ」 彼氏の手が、私の服を掴んだ_ 「でも、私……」 「うん、元カレと会ってたんだよね?」 「うん……」 「俺さ、明日から1ヶ月、有休使って仕事休むことにしたから」 「え?」 「こうなった以上、ずっとそばにいないと気が済まないからさ」 彼氏は笑いながら、私の顔を覗き込んだ_ 「明日から、毎日一緒だよ」 彼氏は目を細めて、私の頭を撫でた_ 私は両手で顔を塞いだ_ 肩が震えて、視界がぼやけた_ 「じゃあ、とりあえず荷物まとめようか」 彼氏は立ち上がって、リビングの電気をつけた_ 「え……」 まぶたを擦ると、彼氏はクローゼットを開けていた_ 「あ、下着とかは自分でやってね?」 彼氏はボストンバックを取り出して、服を詰めた_ 「パジャマとかはさ、あっちが用意してくれるよね?」 彼氏と目が合って、私は首を横に振った_ 「ねえ……」 顔を伏せた_ 「どこまで知ってるの……」 声が、震えた_ 元カレと今日、駅のホームで偶然会った_ 『なんか痩せた?』 元カレはすぐに、私の変化に気づいた_ 『私、病気だから』 そこで私は、抱えていた悩みを打ち明けた_ 『え、そのことは彼氏には言ってないの?』 『うん、そのまま別れようと思ってる……』 『とりあえず、乗って話そうか』 電車に乗り込むと、元カレは手すりを掴んで、私だけが椅子に座った_ 『病院は?』 『逃げてる……』 スマホには、病院からの着信履歴が並んでいた_ 『まあ、怖いよね』 『うん……』 電車が停まって、元カレは扉の前に立った_ 『でもまあ、元気でいてよ』 元カレはそう言って、私に手を振った_ 『今日話したことは、誰にも言わないから』 そう言い残して、電車を降りて行った_ それなのに、 「元カレから、俺のインスタにDMが来てね」 彼氏は、天井を見上げながら言った_ 「俺、ぜんぶ聞いたよ」 彼氏は立ち上がって、私の目の前に立った_ 「ステージ3の乳がん」 しゃがみ込んで、私のほほに触れた_ 「明日さ、病院行こ?」 彼氏と目が合って、私は彼氏の服を掴んだ_ 強く引っ張って、彼氏を抱き寄せた_ 「だいじょぶ、俺がついてる」 頭を撫でられて、私は声を出して泣いた_ そのあと彼氏と、荷物をまとめた_ 「ぬいぐるみも入れとく?」 「うん、夜怖いから」 「だいじょぶだよ、俺が毎朝おはようって、お見舞い行くからさ」 彼氏は笑って、私の頭を撫でた_ 「うん……」 入院は怖かったけど、彼氏となら頑張れる気がした_ 「今日さ、一緒にお風呂入る?」 「え、やだ」 最初は断ったけど、そのあと浴室に向かうと、シャワーの音に混じって泣き声が聞こえた_ 「やっぱり、一緒入る……」 私は電気を消して、扉を開けた_ 「え、待って」 彼氏と初めて、お風呂に入った_ お風呂上がりは、彼氏にドライヤーをしてあげた_ 「暗かったから、目に泡が入った」 「もう、下向かないでよ」 私がヘアオイルを付けてあげると、彼氏は犬みたいに首を振った_ 「明日も付けたい」 「わかったから、じっとしてて」 そのあと彼氏と、アイスを食べながら映画を観た_ 「ねえ、なんで先に観たの?」 「だって、元カレにはすぐに言えたんだって、ちょっとだけ嫌になったから」 彼氏はひとくちだけ、私の抹茶アイスを奪った_ 「ねえ、バニラが付いた」 「うん、美味しいね」 映画よりも、ふたりともアイスに夢中だった_ 彼氏は、エンドロールの途中で寝オチした_ 私は彼氏を枕にして、ソファに横になった_ マイリストにはまだ、約束した映画がたくさん残っていた_ 私は、彼氏の手を握った_ テーブルの上のスマホが光った_ 顔を近づけると、元カレからラインが来ていた_ 『幸せになりなよ』 私は『ありがとう』と、スタンプを送った_ 深夜3時だったのに、既読が付いて、それ以上ふたりとも、なにも送らなかった_ 私はスマホを伏せて、彼氏を抱きしめた_ このままずっと、こうしていたかった_ それでも、朝は来た_ 「今日から夏休みかあ」 彼氏はベランダで、大きく両手を広げた_ 「ねえ、ほんとによかったの」 私は、彼氏の肩に頭を預けた_ 「うん、上司には怒られたけど」 「ええ」 「でもさ、学生に戻ったみたいで気持ちがいいね」 「私はまだ寝ていたかったけど」 「じゃあ、2度寝しよっか」 「え、いいの?」 「うん、30分だけね」 それから彼氏と、昼過ぎまでベッドでゴロゴロした_ 「忘れ物はない?」 「うん、だいじょぶ」 私は合鍵を手に、玄関で靴紐を結んだ_ 車の中で私は、彼氏と歌を歌った_ 途中コンビニで、彼氏が映ルンですを買ってくれた_ 私は運転する彼氏を、最初の1枚目にした_ 私が肩を揺らすと、彼氏は笑った_ 残り26枚_ いまからふたりで、旅行にでも行くみたいだった_ 2026/05/20に公開520,030 回視聴 3.53%16,60140閉園30分前、彼氏とユニバに入った_ 別れ話のあとだったけど、彼氏は私の頭にカチューシャを付けてくれた_ 「分け目どこ?」 彼氏は笑いながら、私の前髪を整えてくれた_ でもこの人、今朝ホテルで私のスマホを見てた_ 「自分でやる」 私は下を向いて、前髪を押さえた_ 「めっちゃ似合うね」 彼氏は180センチあるから、いつも私の顔を覗き込んでくれる_ でもこの人、私が寝てるときにスマホ見てた_ 「コナンのやつ、まだ乗れるかな?」 彼氏もカチューシャを付けて、歩き出した_ みんな出口に向かっていて、私は避けながら彼氏を追いかけた_ 夜のユニバは、どこを見ても眩しかった_ 「ほら早く、置いてくよ?」 振り返る彼氏は、もういまは元カレ_ みんな知らないだろうけど、私たちはさっき別れたばかり_ 「あ、見て見て、オニオン」 それなのに彼氏は、子どもみたいにはしゃいでいた_ 「ミニオンね」 私は、すこしだけ笑った_ でも、スマホは見られた_ 「写真撮って?」 彼氏が、ミニオンと肩を組んでいた_ 「はあ……」 私は彼氏にスマホを向けた_ 「また消さないといけないじゃん……」 さっき、この人とアルバムの写真を消したばかり_ 「あのっ」後ろから声を掛けられて、 「はい?」振り返ると、 「撮りますよ?」カップルが手を差し出していた_ 「あ……」私は断るわけにもいかず、 「ありがとうございます……」 ミニオンのとなりに立った_ 「撮りますねえ」 カップルが、私たちにスマホを向けた_ 「はい、チーズ」 レンズが光って、私は目を逸らした_ そのあとお土産を選んでいたら、彼氏が「さっきの写真エアドロして?」と、私の肩に触れた_ 私はお土産をカゴに入れながら「編集して送るから、またあとで」って、レジに向かった_ 財布を開くと、彼氏はまだお土産を選んでいた_ カゴには、誰に渡すかわからないぬいぐるみが入っていた_ 「あっという間だったね」 会計を済ませた彼氏と、出口に向かった_ 「うん、一瞬だった」 私はカチューシャを外して、袋に入れた_ 外に出ると、地球儀の前でみんな写真を撮っていた_ 「あ、荷物取ってくるね」 彼氏はそう言って、コインロッカーに向かった_ 私が着いて行こうとすると、彼氏は振り返って「そこで待ってて」と、頭の上のカチューシャを揺らした_ 私は、地球儀を見つめた_ さっきと違って、紫色に光っていたから、なんか泣きそうになった_ さっきここで、彼氏とこのまま帰るか、最後にユニバ行くか話し合っていたから、綺麗とは思えなかった_ たぶんつぎ来るときも、写真すら撮る気にならないんだろうなって、遠くのカップルを見つめた_ 「行こっか」 彼氏がキャリーケースを引きながら、私の前を歩き出した_ 「ねえ、いつまで付けてるの?」 私は駅のホームで、後ろから彼氏を見上げた_ 彼氏は前を向いたまま、カチューシャを揺らした_ 「さすがに飛行機では外してよ?」 私は、彼氏の背中にスマホを当てた_ 「ブザーなるかな?」 彼氏は笑いながら、背筋を伸ばした_ 「席変えてもらおっかな」 私はスマホを見つめた_ さっき撮ったミニオンとの写真は、ふたりとも笑顔だった_ でもふたりとも視線が真ん中を向いていて、あいだのミニオンだけがこっちを見ていた_ 「疲れたね」 前に立っていた彼氏が、笑いながら言った_ 「うん、疲れた」 私はスマホを閉じて、顔を伏せた_ 下げたおでこが、彼氏の背中に当たった_ 彼氏は背中を丸めて「もうすこしだよ」って、笑った_ 私はそのまま、彼氏の背中に頭を預けた_ でも私、この人にスマホを見られた_ もうすぐ記念日だったのに、 スマホを見られた_ お揃いのキーホルダー欲しかったのに、 スマホを見られた_ 「電車来たよ」 顔を上げると、彼氏と目が合った_ 「うん」 私が目を擦ると、彼氏も目を擦った_ そのあと、 電車の中でも、 空港のロビーでも、 飛行機が離陸するときも、 私は何度も、彼氏の肩に頭をぶつけた_ 「着いたら起こすよ」 どうしても私は、この人のとなりにいると眠くなってしまう_ 私が寝ているあいだ、この人はなにを考えていたのか、わからなかった_ でも、今朝ホテルで目を覚ましたとき、この人は泣きながらスマホを見ていた_ 空港のロビーで私は、彼に手を振った_ 彼もキャリーケースから手を離して、ちいさく手を振った_ さすがに、カチューシャはもう外していた_ でも、背中を向けた彼の頭には、寝癖ができていた_ 「まだ付いてるし」 一緒になって頭を寄せていたのか知らないけれど、左にだけ寝癖ができていた_ 私はゆっくりと背中を向けて、帰りはひとりで、別の家に向かって歩き出した_ 2026/05/17に公開118,190 回視聴 2.71%2,9729「この顔に見覚えありませんか?」警察官から1枚の写真を見せられた_ 「ちょっと待ってください」 私は玄関の扉を閉めて、チェーンを外した_ 呼吸を整えて、ドアノブを握った_ もう1度開けて、顔を出した_ 「元彼を、久しぶりに見ました」 私は、警察官の目を見て言った_ 「そうですか」 警察官は、奥にいた女性の警察官と目を合わせた_ 「実はですね、とある事件にこの方が関与してる疑いがありまして」 もう1度写真を向けられて、私は顔を近づけた_ 「連絡先とか残ってます?」 「いいえ、消しました」 「最後にお会いしたのはいつですか?」 「4ヶ月前です」 「お答えできたらでいいのですが、そのとき交際中でしたか?」 「いいえ」 私は、警察官を見つめた_ 「偶然お会いしたとか?」 「はい」 汗が出てきて、私はおでこを押さえた_ 「どこでお会いしたか、お聞きしてもいいですか?」 「駅のホームです」 「すぐそこの最寄りですか?」 「はい、電車に乗るところを見かけました」 「声は掛けましたか?」 「いいえ」 私は、警察官を見上げた_ 「女の人といたので、話しかけませんでした」 「そうですか」 警察官は、すこしだけ眉間にしわを寄せた_ 「では、もう1度お聞きします」 警察官の指が、写真の中の男を指差した_ 「この方で、間違いないですか?」 私は写真を見つめて、首を振った_ 「ごめんなさい、その人ではないです」 頭を下げて、強く目を閉じた_ 「わかりました」 顔を上げると、警察官は背中を向けていた_ 奥で待っていた警察官と頷いて、私に軽く頭を下げた_ 「ご協力ありがとうございます」 歩き出す警察官を見つめながら、私は扉を閉めた_ そのまましゃがみ込んで、顔を塞いだ_ 私は3年ぶりに、元彼の名前を口にした_ さっき見た顔は、間違いなく元彼だった_ 遠距離を理由に、別れてしまった元彼_ 『もし25歳までに独りだったら、結婚しよっか』 そんなことを言っていたのに、元彼は4ヶ月前、女の人と歩いていた_ つぎに進もうと決めた私は、元彼の連絡先を消した_ 「なんでいまさら……」 私は、玄関の扉を見つめた_ 「すいません、ひとつだけお伝えしたいことがあって」 外から声がして、扉をノックされた_ 私は立ち上がって、ドアノブに手をかけた_ 「すみません何度も」 警察官は帽子に手を当てて、軽く頭を下げた_ 「実はですね、さっき言ってた駅で一緒にいた女性、あれ妹だと思います」 「はい……」 私は、首の後ろに手を当てた_ 「もし他になにかあれば、こちらから連絡をします」 渡された紙には、電話番号が書いてあった_ 「では、また」 私が顔を上げると、警察官は歩いて行った_ 私は裸足のまま、廊下に飛び出した_ 「あのっ」 声を掛けると、警察官は立ち止まった_ 「ほんとに、妹だったんでしょうか」 私は、警察官の背中を見つめた_ 「はい、確かな情報です」 警察官は振り返って、帽子を外した_ 「本人がそう言ってるので」 警察官はそう言って、顔を上げた_ 「やっぱり……」 私は、帽子を取った元彼を見つめた_ 「やっぱり、警察官になれたんだね」 風が吹いて、元彼は遠くを見つめた_ 「職務中ですので、プライベートなことは」 そう言って元彼は、私の手もとを指差した_ 「聞きたいことがあれば、そちらに連絡をお願いします」 紙には、喫茶店の名前も書いてあった_ 私は紙を握りしめて、元彼を見つめた_ 「もうすぐ、誕生日だね」 私が目を細めると、元彼は下を向いた_ 「毎年、ここでケーキ食べたね」 私が近づくと、元彼は帽子を被った_ 背中を向けて、横顔を見せた_ 「今日は、20時終業予定です」 そう言って元彼は、階段を降りて行った_ 私は、廊下から身を乗り出した_ 駐車場を走る元彼の背中は、前よりもずっと大きく見えた_ 私は部屋に戻って、急いでクローゼットを開けた_ 服を身体に当てながら、なにから話そうか考えた_ それにしても制服似合ってたな、とか_ 職務中なのに連絡先渡すのはどうなの、とか_ 私もちゃんと教員になれたよ、とか_ あとは、本当に妹だったのか詳しく聞き取りしないと、とか_ でもまずは、 「私、まだ好きだから」 それをいちばんに、伝えることにした_ 2026/05/13に公開156,326 回視聴 2.28%3,2589友達と心霊スポットに行ったら、トンネルの中に元彼がいた_ 友達は逃げ出して、私は元彼とふたりきりになった_ 「ねえ、なにしてんの?」 私は元彼の足もとを見つめた_ 「暑くなってきたし、ここ涼しいんだよ」 元彼は、靴を履いていなかった_ 「怖いって」 私は、半年ぶりに元彼と目を合わせた_ 「よく俺に気づいたね?」 「気づくよ、ずっと探してたんだから」 「そっか、突然いなくなったもんね」 元彼は、私があげたTシャツを着ていた_ 「ねえ、なんで裸足?」 「ああ、やっぱ気になる?」 元彼は足を上げて笑った_ 「ちょっとさ、ほんとに怖いんだけど」 「あ、もしかして霊だと思ってる?」 「ねえ、まじでめんどくさい」 私は、元彼に手を伸ばした_ 元彼はすぐに後ろに下がった_ 「ちょっと、確認させてよ?」 私は服を掴もうとした_ 「やめて?」 「なんで?」 「俺たちもう他人じゃん、触らないでよ」 「は? 勝手にいなくなったのはそっちじゃん」 私は、元彼の服を指差した_ 「俺のこと、なんにも聞いてないの?」 「は?」 「ニュース見てない?」 「ニュース?」 「うん、半年前にあった事故」 「なにそれ」 私は、髪を耳にかけた_ 「そっか……」元彼は下を向いて、前髪を押さえた_ 「それがなんなの……」 「実は俺、車で事故を起こした」 「は?」 「歩いてた人も巻き込んで、お腹には赤ちゃんもいた」 「待ってよ」私は首を振った_ 「なんで言わなかったの」 「関わってほしくなかった」 「おかしいって」 「おかしくない、俺は人の人生を崩したんだよ、幸せになっていいわけがない」 「待ってよ……」私は、おてごを押さえた_ 汗が止まらなくて、呼吸がうまくできなかった_ 「だからもう、連絡して来ないでほしい」 元彼は、背中を向けた_ 「俺のことは忘れて、早く友達のところに戻って」 元彼は歩き出した_ 私は手を伸ばした_ 「ねえ、生きてるよね?」 トンネルに、声が響いた_ 元彼は立ち止まって、ゆっくりと振り返った_ 「どっちでもいいよ」 蛍光灯の灯りが、元彼の顔を照らした_ すぐにまた歩き出して、私は追いかけた_ 「来ないで」元彼は、トンネルの外に出た_ 「お願い」私は叫んだ_ 元彼は、私の誕生日にいなくなった_ あの日、待ち合わせの時間になっても来ないから、私は大学の友達に連絡をした_ 『どこにいるか知らない?』 『え、指輪を取りに行くって言ってたよ?』 そのことを、私はどうしても聞いておきたかった_ 「ねえ、あの日、指輪を取りに行ったんでしょ?」 私は、トンネルの外に出た_ 元彼はガードレールに手をついて、下を向いていた_ 「私が遅いって急がせたから、事故を起こしたんじゃないの?」 元彼は顔を上げて、ゆっくりと歩き出した_ 「ねえ」私は走り出した_ 息が苦しくて、足がもつれた_ アスファルトに倒れ込んで、ほほが地面についた_ 「お願い……」視界がぼやけて、口の中に砂が入った_ 「私のこと、嫌いになったの……」 地面に手をついて、顔を上げた_ 視線の先に、元彼の足があった_ 「嫌いになれないよ」 まぶたを擦ると、元彼と目が合った_ 私は、ゆっくりと手を伸ばした_ 伸ばした薬指に、元彼の中指が触れた_ 触れた瞬間、元彼の胸に抱き寄せられた_ 一気に涙が溢れて、元彼の肌の匂いがした_ 「生きてるじゃん……」 私は強く、元彼を抱き締めた_ 元彼は地面にひざをついて、首を振った_ 「俺は……」 私はすぐに元彼の頭を抱きしめた_ 「もういい、もういいから……」 鼻先をおでこに当てた_ 「俺みたいなやつ……」 元彼は涙を流した_ 「いいから、黙って」 私は、元彼の頭を押さえた_ 「いなくならなくていいって」 背中を掴むと、元彼が声を出して泣いた_ 空が明るくて、元彼のおでこにくちびるを当てた_ 「ごめんね……」 そのあとふたりで、朝日を眺めた_ 「もういいって」 私は笑いながら、元彼の肩に腕を回した_ 「ねえ、おんぶしてあげる」 私は元彼の頭を撫でた_ 「いいよ、自分で歩く」元彼は、足の指を動かした_ 「じゃあ、あの電柱まで」 私が遠くを指差すと、元彼が顔を上げた_ 「ね? 私にも背負わせて?」 朝日が差し込んで、元彼の口角が上がった_ 「じゃあ……」元彼は、遠くを見つめた_ 「家までよろしく……」 「はい?」 私が振り返ると、元彼はまぶたを擦った_ 「わかったわかった、家までね」 私は元彼の肩に触れた_ 「その代わり、恥ずかしくなってもおろさないからね?」 私が顔を覗き込むと、元彼は目を細めた_ 「うん、ありがと……」 見上げた笑顔は眩しくて、 「よかったよ、ほんと……」 私は、彼の肩におでこを乗せた_ 2026/05/11に公開171,564 回視聴 3.47%5,37313「明日からお弁当作らなくていいから」同棲中の彼氏が、お風呂上がりに言った_ 「なんで?」 私はドライヤーを止めた_ 「連休あとで早起きキツいだろうし、俺も菓子パンひとつでいける気がして」 「別に私は食べるの遅いからパンにしてるだけで、作るの嫌って言ってないよね?」 「そんなさ、怒らないでよ」 彼氏はソファに座った_ 「言い方がむかつくんだって、作らなくていいってさ」 私は、髪を耳にかけた_ 「気をつける」 彼氏はテレビを消した_ 「あとさ、いつまで前の家借りたままなわけ?」 私は、ずっと気になっていたことを口にした_ 「今週中には解約する」 「なんでさ、半年も放置できるの? お金がもったいないって思わない?」 「荷物がまだ残ってるし、なんかめんどくさい」 「その放置する癖、直したほうがいいよ」 私は、リビングを出た_ 洗面台の前で、歯ブラシを手に取った_ 歯を磨きながら、鏡を見つめた_ スマホを開くと、お弁当の写真に『68いいね』付いていた_ 急に、消したくなった_ 最近は、みんなに見せたくて早起きしてる気がした_ うがいをして、リビングに戻った_ 電気が消えていて、間接照明だけが付いていた_ 彼氏はソファに寝転がっていて、スマホを見ていた_ 寝返りを打って、背中を向けた_ 「ああ、そう」私はひとりで寝室に向かった_ ベッドに腰を下ろして、スマホを開いた_ 横になって、アラームを1時間遅くした_ もうこのままお弁当を作らなくていいのは、ちょっとだけ気が楽だった_ 私はそのまま目を閉じた_ 寒くて目が覚めて、スマホを開くと深夜の2時半だった_ 私はリビングを覗いた_ 彼氏はいびきをかいていて、床にスマホが落ちていた_ ソファに近づくと、彼氏が寝返りを打った_ パスワードが変わってる気がして、私はスマホに手を伸ばした_ 「なにしてんの?」 彼氏と目が合った_ スマホを消すと、彼氏の顔が見えなくなった_ 「スマホ見てた?」 心臓の音がうるさくて、私はスマホを握り締めた_ 「返して?」向けられた彼氏の手が、怖かった_ 「怖い……」 私は、下を向いた_ 「俺だって怖いよ、勝手にスマホ見てたとか」 顔を上げると、彼氏が立ち上がった_ スマホを拾って、部屋の電気を付けた_ 「もう終わりだね」 彼氏は背中を向けたまま、リビングを出た_ 彼氏のスマホは、私の誕生日と記念日で開いた_ 「待ってよ」 私は彼氏を追いかけた_ 玄関で靴を履く彼氏を見て、私は足を止めた_ 「そんな簡単に終わるの?」 「わかんない、とりあえず今日は前の家で寝る」 「最初から、戻るつもりだったんでしょ」 私が壁に手をつくと、彼氏はゆっくりと振り返った_ 「もうやめよ、話がズレてる」 玄関の扉が開いた_ 「いちおう俺の荷物、適当にまとめといて」 扉が閉まった_ 私は床にしゃがみ込んだ_ そのまま動けなくなって、玄関で朝を迎えた_ リビングに向かうと、テーブルの上にはお弁当箱があった_ 手に取ると重たくて、中にはオムライスが入っていた_ 「ねえ……」 彼氏のスマホを開いたとき、すぐにオムライスの写真が目に入った_ アルバムが黄色で埋め尽くされていて、どの写真にもケチャップで文字が書かれていた_ 『40てん』 『45てん』 『70てん』 『80てん』 写真には、前の家のキッチンが映っていた_ 最近の彼氏は、帰りが遅かった_ オムライスが好きな私に、お弁当を持たせるために練習をしていた_ テーブルの上には、新品のお弁当箱が用意されていた_ 『明日からお弁当作らなくていいから』 蓋を開けると、 ケチャップの匂いがした_ 『100てん?』 文字がぼやけて、私はまぶたを擦った_ スマホのアラームが鳴って、 私は顔を上げた_ 明るくなり始めたリビングで、 彼氏の荷物をまとめた_ 『合鍵はポストでいいよ』 置き手紙を書いた_ 菓子パンをカバンに詰めて、 髪を結んだ_ 「いってきます」 テーブルの上のオムライスは、 綺麗な形のまま、 崩すことはできなかった_ 2026/05/10に公開138,215 回視聴 2.72%3,5449「赤ちゃんは助からないと思ってください」 医師の説明は、あまりにも冷たかった_ 「原則として、母体を優先した処置を行います、酷なことを言いますが、このままでは母子共に命の補償ができません」 病院に駆け付けたとき、彼女はすでに手術室の中にいた_ 「ふたりとも助けてください」 仕事中に起きた、交通事故だった_ 「赤ちゃんを優先した場合、母体へのリスクが上がります」 汗が止まらなくて、シャツのそでを捲った_ 「諦めたくないです……」 俺は、ネクタイを外した_ 「現在、彼女さんのご家族とは連絡が付いていません、迅速な処置が必要なため、今ここで同意が必要です」 ネクタイを握り締めると、先生が頭を下げた_ 天井を見上げると、視界が白くぼやけた_ 『ねえ、まだ迷ってるの?』 初めて彼女をご飯に誘った日、俺はずっとメニューばかり見ていた_ 彼女は迷うことなく、エビフライ定食を頼んだ_ 『実は私ね、親の顔を見たことがないの』 彼女は、エビフライを咥えながら言った_ 『私、施設で育ったの』 そう言って見せられた集合写真には、制服を着た彼女が映っていた_ 『友達が家族なの』 彼女は、施設の子たちと肩を組んで笑っていた_ 『だからね、誰かと付き合うとか、よくわからないの』 彼女とはもう、会えなくなる気がした_ 『俺、またご飯誘うからさ、もうすこしだけ付き合ってほしい』 俺は顔を上げて、彼女の目を見つめた_ 『だいじょぶ、俺なら教えてあげられる』 初デートなのに俺は、彼女を泣かせてしまった_ 手術室から産声が聞こえたのは、深夜1時過ぎだった_ その声を聞いたとき、俺の手は激しく震えていた_ まだ見たことのない赤ちゃんよりも、彼女の顔しか浮かばなかった_ 扉の開く音がして、足音が近づいて来た_ 「処置中に、母体の容態が急変しました」 俺は、顔を上げることが出来なかった_ 「緊急帝王切開を行いました」 説明よりもいまは、彼女の顔が見たかった_ 「赤ちゃんは無事です」 全身の力が抜けて、俺は床にひざをついた_ 床が冷たくて、涙はもう出なかった_ 医師の服を掴むと、やっと声が出せた_ 「赤ちゃんは、どこですか……」 顔を上げると、医師がマスクを外した_ 「会いたがってます、とても元気に泣いてます」 そのあと握られた、ちいさな手のひらは、5年経ったいまでも鮮明に覚えている_ 最近、娘が『ママ』のことを聞いてくるようになった_ 身につけるものも、自分で選ぶようになった_ いつもとなりで見ていたオレンジ色のシュシュは、娘が出かけるときに付ける愛用品になった_ 「パパおそい」 今日は娘と、ファミレスに来ていた_ 「もうちょっと迷わせてよ」 俺がメニューをめくると、となりで娘の靴が揺れた_ 「どうせパパ、今日もハンバーグだよ」 「でもさあ、たまにはこっちもいいかなって」 「もお、おなかすいたあ」 「わかったわかった、俺もエビフライにする」 運ばれて来たエビフライに、娘はすぐに顔を近づけた_ タルタルソースをかけてあげると、娘は肩を揺らした_ テーブルに日が差して、「きれい」と、娘が手を叩いた__ 「ねえパパ、しっぽ、たべたらだめ?」 娘が、エビフライの尻尾を指で摘んだ_ 「んん、まだ早いかな」 「パパはいいの?」 「うん、パパは大人だからね」 頭を撫でると、娘は尻尾を見つめた_ 「おいしいの?」 「ううん、おいしくないよ」 俺が笑うと、娘は口をとがらせた_ 「でもママは、たべていいっていってるよ?」 娘が、テーブルの向こう側を指差した_ 『ずっと気になってたんだけどさ、尻尾って美味しいの?』 付き合ってすぐのとき、俺は彼女に聞いたことあった_ 『ううん、美味しくないよ』 『じゃあ、残しなよ?』 いつも彼女は、尻尾をお皿に戻さなかった_ 『それだと、尻尾がかわいそうでしょ?』 彼女は笑って、尻尾を俺に向けた_ 俺が口を開けると、彼女は腕を伸ばした_ 『ちゃんとね、残された側の気持ちも考えてあげてないと』 そう言って、俺の口にエビフライの尻尾を入れた_ 『おいし?』 彼女と目が合って、俺はゆっくりと口角を上げた_ 『うん、おいしい』 俺がほほを膨らませると、彼女の指がくちびるに触れた_ 『ね? ちゃんとまた会えた』 「パパ?」 下を向くと、娘と目が合った_ 「パパだいじょぶ?」 「なんか、尻尾が喉に詰まっちゃったみたい」 俺が笑うと、娘の手が首に触れた_ 「いたいいたい?」 ちいさな指が、詰まりかけた喉を優しく押さえた_ 「ううん、もうだいじょうぶ」 「パパ、つよがり」 娘が、ひざの上に乗った_ やわらかい髪がほほに触れて、懐かしい匂いがした_ 「パパ、だいすき」 背中を掴まれて、娘が顔を上げた_ 「パパもだいすきだよ」 窓から日が差して、テーブルの上が白く光った_ あまりにも眩しくて、 俺は久しぶりに、ほんのすこしだけ泣いてしまった_ 2026/05/07に公開25,427 回視聴 4.26%1,0122『いま家だよね?』 「うん?」 『ココの声しなくない?』 電話なのに、俺は思わず目を逸らした_ 「ちゃんといるけど……」 『でも今日、1回も吠えてないよね?』 彼女と話し始めて、もうすぐで1時間_ 「あ、寝てる寝てる」 俺は、横にいるココの背中を撫でた_ ベッドの上でココは、吠えることなく大人しくしていた_ 俺は人差し指を鼻に当てて、『待て』の合図を続けた_ 『ココの顔見たい、映して?』 「その前に、充電してもいい?」 俺は、スマホを耳から離した_ 『充電ないの?』 「うん、溜まったら繋げる」 充電は『71%』だった_ 『ねえ、なんか隠してない?』 「え?」 俺は、正直に話すことにした_ 「実はさ」 画面に、ココを映した_ 「トリミング行ったらこうなって……」 『あのさあ』 彼女はため息を吐いて、笑った_ 『どんな注文したらそうなるわけ?』 「ほんとごめん……」 見た目が変わったココを、俺は撫でた_ やっぱりまだ、本当のことは話せなかった_ "クラインフェルター症候群" 俺は、子どもが持てない身体だった_ 『ココ、可愛くなったねえ』 彼女が、画面の中でココに話しかけた_ 『ありがとね、忙しいのに色々してくれて』 彼女と目が合って、俺はスマホの中で笑った_ 「ううん、ふたりが笑ってくれれば、なんだってするよ」 俺は、ココの背中を見つめた_ ガラス越しに初めてココを見たとき、俺はこの子なら子どもの代わりになるんじゃないかって思った_ 『私ね』 画面の中で、彼女がゆっくりと瞬きをした_ 「うん……」 『そっちに引っ越すことにしたから』 「え?」 俺は、スマホを落としそうになった_ 『通勤遠くなってもいいからさ、そっちに行ってもいい?』 「え……」 俺は、スマホを両手で握った_ ココが心配そうに、俺のことを見上げた_ 『ねえ、泣いてるの?』 「いや、泣いてない……」 俺はまぶたを擦った_ 『ねえココ、泣いてるよね?』 彼女が笑うと、ココが吠えた_ 俺は、天井を見上げた_ 視界がぼやけて、足がもつれた_ 『私、3人で暮らしたい』 立っていられなくなって、俺はベッドに手をついた_ 『私、お嫁さんになりたい』 畳み掛ける告白に、俺はベッドに倒れた_ ココが飛びついて来て、俺のほほに鼻を擦り付けてきた_ 「ほんとむり……」 俺は、毛布に顔を伏せた_ 『ねえ聞いたココ? いま無理って言ったよね?』 彼女が笑った_ 俺は顔を上げて、スマホを握り締めた_ 「違う、俺も結婚したいよ」 別れを切り出すはずが、余計なことを口にした_ 『だってさココ、聞いた?』 彼女が笑った_ 俺はココを抱き締めて、おでこに鼻を当てた_ 『明日、お泊まり行くから』 スマホの中で、彼女が言った_ 「え」 『ハサミ用意しててね? その髪切るから』 彼女が、指を2本俺に向けた_ 『トリミングしないと』 笑った彼女を、俺は見つめた_ 『ねえココ、一緒に切ってあげようね』 ココの尻尾が揺れて、俺はテーブルの上の封筒を見つめた_ "自然妊娠は極めて困難" それでもいいよって、彼女には笑ってほしかった_ でも、 『実はね、私も隠してることがあって』 「え?」 部屋に、ココの鼻息が響いた_ 『私ね』 「うん」 画面の中に、3人の顔が映った_ 『お腹にね』 ココの尻尾が、ゆらゆら揺れた_ 『赤ちゃんがいるの』 2026/05/03に公開28,305 回視聴 2.65%6917「さっきからココの声しなくない?」 『え?』 トイプードルのココが、彼氏の家にはいるはずだった_ 「なんか今日、静かすぎない?」 私はスマホを強く耳に当てた_ 「そこにいるよね?」 『うん、寝てるけど』 彼氏はそう言って、しばらく黙った_ 私は時計を見つめた_ 生乾きの髪が首に当たって、肩が震えた_ 「ココ、ベッドにいるの?」 私は、テレビ台の上の写真を見つめた_ 『うん、いつものとこで寝てるよ』 写真の中でココは、口を開けて笑っていた_ 「ねえ、ココ映して」 私はテーブルにひじをついた_ 『え?』 「ビデオ通話しよ」 『あ、じゃあその前に、充電してもいい?』 「ないの?」 『うん、溜まったら繋げる』 「はあ……」 私はテーブルに顔を伏せた_ 「なんかさ……」 『うん』 「今日、変だよ?」 私は顔を上げて、スマホを見つめた_ 『変?』 「うん、なんか隠してない?」 テーブルの上を、指でなぞった_ 『2週間会えてないから、そう見えるのかも』 彼氏は言った_ 『俺さ、ゴールデンウィーク休み取れたよ?』 「私も取れたけど……」 私は、スマホのカレンダーを開いた_ 『じゃあ、旅行行かない?』 「え?」 『温泉とか』 「ココはどうするの?」 私はスマホを耳に当てた_ 『妹が見てくれるって』 「え、じゃあまた私ココと会えないの?」 『うん、そうなるね……』 彼氏はちいさくつぶやいた_ 「お家でよくない?」 私は天井を見上げた_ 『んん、せっかくの連休だしさ』 「どこも人多いって」 『でもさ……』 「ねえ、なに隠してんの?」 私はスマホを握りしめた_ 『ごめん、充電やばいからちょっと待ってて』 「むり……」 私はビデオ通話のボタンを押した_ 「ココ?」 スマホに顔を近づけた_ 『ごめん、繋げる』 彼氏の顔が映った_ 「ねえ、ココいるんだよね?」 『ちゃんと話すから、まずは謝らせて、ごめん』 指が震えた_ 「なに……」 画面の中で、彼氏が下を向いた_ 首にはタオルが巻かれてて、髪がまだ濡れていた_ 『実はさ』 「うん……」 画面が傾いて、ベッドが映った_ 『ほんとごめん……』 彼氏の手が、膨らんだ布団に触れた_ 布団がめくれて、ココの尻尾が見えた_ 「ココ……」 私は画面に触れた_ 「え、ココ?」 『ごめん……』 画面の中でココが、ゆっくりと顔を上げた_ こっちを向いて、私と目を合わせた_ ココの見た目が、変わってた_ 「ねえ」 『トリミング行ったら、こうなって……』 「あのさあ」 私は思わず笑った_ 「どんな注文したらそうなるわけ?」 『ほんとごめん、俺のミス……』 ココのドヤ顔に、私はまた笑った_ ようやくココが吠えて、画面の中で飛び跳ねた_ 「ココ、可愛くなったねえ」 私はスマホに鼻を近づけた_ 『やっぱり? 似合ってるよね』 彼氏が顔を覗かせた_ 「なに開き直ってんの?」 私は目を細めた_ 『だから言いたくなかったんだよ……』 彼氏はタオルで顔を隠した_ 「うそうそ、ちゃんとココを考えてのことだもんね」 私は、彼氏に手を振った_ 「ありがとね、忙しいのに色々してくれて」 『ううん、ふたりが笑ってくれるならいいよ』 彼氏はココを撫でながら笑った_ 「私ね」 『うん?』 ココの尻尾が揺れた_ 「引っ越すことにしたから」 『え?』 「通勤遠くなってもいいからさ、そっちに行ってもいい?」 『え……』 彼氏は、おでこを押さえた_ 『うん……』 タオルを目に当てて頷いた_ 「ねえ、泣いてるの?」 私は笑った_ 『いや、泣いてない』 タオルで顔を隠す彼氏を、ココが見上げた_ 「ねえココ、泣いてるよね?」 ココは大きく口を開けて、尻尾を揺らした_ 『やっぱ俺、ココの可愛さには勝てないね』 彼氏はタオルを口に当てて言った_ 「私、好きだよ」 『え……』 「いつも言えてないけどさ」 『待って、泣くから……』 「私、お嫁さんになりたいもん」 『ああ、むり……』 彼氏はベッドに倒れ込んだ_ 「ねえ、ココ聞いた? いま無理って言ったよね?」 ココが彼氏に飛びついた_ 『違う違う、結婚したいって、俺も』 画面が傾いて、ココが顔を覗かせた_ 「だってさ、ココ」 私が笑うと、ココも笑った_ 彼氏がココを抱き上げて、 『やったねえ、ココ』って、画面の中で飛び跳ねた_ 彼氏の顔が近づいて、ココがほほを寄せた_ 『これからは3人で、一緒に暮らそ』 彼氏が目を細めて笑った_ 「うん、明日お泊まり行くから」 『え、いいの?』 「うん、ハサミ用意しててね?」 『ハサミ?』 「うん、その髪切るから」 『え?』 「トリミングしないと」 私は指を2本立てた_ 『ええ、やっぱ怒ってるじゃん』 「ねえココ、一緒に切ってあげようね」 ココの尻尾が揺れて、ふたりで目を合わせた_ 画面の中に、3人の顔が映った_ スマホからは、笑い声だけがあふれた_ 2026/04/30に公開178,488 回視聴 4.57%7,6016私たちの合唱に指揮者はいなかった_もう会えない彼に向かって私は、ピアノを鳴らした_ 「ねえ、どうして指揮者に立候補したの?」 本番まで1ヶ月を切った日に、私は音楽室で聞いた_ 「モテたいから」 彼は笑って、右腕を上げた_ 「ほら、練習やるよ」 放課後は決まって、ふたりで練習を重ねた_ 「試しにさ、今日は目を閉じてやってみない?」 彼はやけに熱心で、いつも私はそれに付き合わされていた_ 「ええ、意味ある?」 私は楽譜をめくりながら聞いた_ 「だって俺、また遅刻するかもしれないじゃん」 「なんでさ、そんな毎日寝坊するわけ?」 「俺のアラーム、最近おかしくてさ」 毎朝、遅れて教室に入って来る理由を彼は伏せた_ あとで知ったことだけど、彼は毎朝病院に通っていた_ 「ほら、やろう」 彼は笑みを浮かべて、右手を振った_ 「本番は遅刻しないでよ」 私は、彼と目を合わせた_ 口角を上げると、彼の真っ白い手のひらが線を描いた_ 「それじゃあ、いくよ」 その1ヶ月後、彼は突然この世を去った_ 最後に練習した日、彼は笑いながら言った_ 『これでもう、俺がいなくても弾けるね』 私はもう、ピアノを弾けなかった_ 伴奏は辞退することにした_ 暗くなった音楽室で、私はひとりで帰れずにいた_ 『ほら、やろう』 顔を上げると、黒板の隅に見覚えのある文字を見つけた_ それはあの日、彼が言わなかった、指揮者に立候補をした理由だった_ 彼はいつも授業中、私に向かって人差し指を振っていた_ 私はいつも、指揮の練習をしていると思っていた_ でも本当は、何度も『スキ』の2文字を振っていたと、いまになって気づいた_ 無邪気に笑う彼の姿が浮かんだ_ 私は眉間にシワを寄せて、もう一度ピアノの前に立った_ 楽譜を開いて、ゆっくりと腰を下ろした_ 目を閉じると、彼の声がした_ 『それじゃあ、いくよ』 彼の声に合わせて、私はピアノに触れた_ 本番当日、私たちの合唱に指揮者はいなかった_ みんなと目を合わせて、私は息を吸った_ 目を閉じて、彼の姿を思い浮かべた_ まぶたの裏で、彼が頷いた_ 「いくよ」 みんなの声とともに、彼と過ごした日々が流れた_ 下駄箱で彼が、私に向かって手を振っていた_ 自転車を押しながら、彼がとなりで肉まんをかじっていた_ 交差点で彼が、青信号を見つめていた_ 点滅すると、彼の口角が上がった_ 目を開くと、みんなの目には涙が浮かんでいた_ 私のほほにも、ひと筋の線が流れた_ それは、彼の遺した『スキ』への返事_ 「私も……」 ようやく私たちは、思いを照らし合わせた_ 会場に、拍手が鳴り響いた_ 私は、壇上に目を向けた_ もう会えないはずの彼が、そこにはいる気がした_ 『よくがんばったね』 「そっちこそ」 私は、ゆっくりと親指を立てて、満天の笑顔を彼に向けた_ 2026/04/29に公開18,474 回視聴 6.5%1,0954初恋の人から『いいね』が来た_アカウント名をタップすると『非公開』だった_ 翌朝、教室に入ると『いいね』をくれた女子と目が合った_ すぐに逸らされて、俺は自分の席についた_ 駆け寄って来たクラスメイトと話しながら、俺は何度も彼女の背中に目をやった_ あのあと『フォロー申請』も来なかったし、ただ俺のスマホには、真っ赤な『いいね』だけが残った_ 「ピアス塞いだの?」クラスメイトのひとりが、俺に聞いた_ 「うん、やっぱり先生に注意されたから」 「ええ、似合ってたのに」 「まあ、仕方ないよ」 2ヶ月前、俺はピアスを開けた_ 開けた理由は、付けたいピアスがあったからだった_ それは、小学生のときに貰ったもので、それを誰に貰ったかは思い出せない_ 唯一覚えているのは、その子が初恋の相手だったと言うことと、オレンジ色のヘアゴムで髪を結んでいたと言うこと_ 俺はもう一度、彼女の背中に目を向けた_ 「やっぱり……」 オレンジ色のヘアゴムが、彼女の髪を宙になびかせていた_ 朝日を吸い込んで、赤茶色に光っていた_ このクラスに転校して来てからずっと、彼女とは一度も話せていない_ たぶん俺が、ピアスをくれた子を見つけるために、いろんな女子に話しかけていたのが原因だった_ もしかしたら同じように彼女も、俺のことを忘れているのかもしれない_ たとえ覚えていたとしても、もう関わる気はなさそうだった_ 俺は、筆箱の中からピアスを取り出した_ 窓に向けると、サファイアの宝石が光りを放った_ このピアスを付けていれば、きっと話し掛けてくれると思っていた_ よくよく考えたら、 小5のときに抱いた恋心を、いまだに引きずってる俺のほうが珍しい_ だから俺は、穴を塞ぐことにした_ どうせいま、目の前で話しているクラスメイトのことだって、大人になれば忘れてしまう_ インスタのストーリーに足跡がたまに付く程度の、曖昧な関係になってしまう_ 昨日届いた1件の通知_ あの『いいね』はもしかしたら、関わりを避けた彼女からの、唯一の優しさなのかもしれない_ そう思うと、この色付いたハートが愛おしく思えた_ スマホを開いて、彼女からの『いいね』を眺めた_ アルバムを開いて、偶然遠足のときに写り込んだ彼女の後ろ姿を消した_ 俺は来月、手術を受ける_ そのために転校して来たことは、まだ誰にも話してない_ 手術を受ける前に、一言だけでもいいから、彼女に話しかけてみたかった_ 『はじめまして』ではなく、『ひさしぶり』って_ 窓の外に目を向けると、ガラス越しに自分の耳が映った_ まだすこしだけ穴の跡が残ってて、なんか情けなくなって、左手で塞いだ_ 「おっ」先生が俺の名前を口にした_ 「え?」黒板に顔を向けると、先生が「やってくれるか?」と、チョークを向けた_ 黒板には『合唱コンクール』と書かれていた_ 2ヶ月後の本番に向けて、伴奏者と指揮者を決めてる最中だった_ 俺は耳から手を離して、頭の上にあげた_ 「はい、やります」 視線の先で、彼女のポニーテールが揺れた_ 黒板には、彼女の名前が書いてあった_ 「指揮者、やります」 俺が立ち上がると、みんなが笑った_ 彼女だけは前を向いたまま、こっちを向かなかった_ 「じゃあ、決定」 黒板には、俺の名前と彼女の名前が並んだ_ チョークの粉がキラキラと、ふたりの名前を輝かせた_ 6年前、転校してしまう俺に、彼女はピアスをくれた_ ピアスには、サファイアの宝石が施されていた_ 石言葉は『一途な愛』_ 俺はもうちょっとだけ、勘違いをしてみようと思う_ どうせ手術も成功するかわからないし、 別にそれなら嫌われても構わない_ 案外、好きな人よりも嫌いな人のほうが、大人になっても覚えているって、お父さんが言っていた_ だったら俺は、とことん嫌われようと思う_ 教室には、拍手が響いた_ 彼女のポニーテールが揺れた_ ゆっくりと彼女が振り返って、 目が合った_ 彼女はあの頃と同じ目をしていて、眉間にはシワが寄っていた_ そしてまた俺は、 顔を真っ赤に染められた_ 2026/04/27に公開17,127 回視聴 4.74%7633「高2でピアスって、ダメですか?」先生に向かって、転校生は言った_ 彼の耳には、ピアスが付いていた_ 「やっぱ転校生、怒られててもめっちゃかっこよくない?」 前の席の親友が、アイプチを直しながら言った_ 「あんなの蛙化でしょ」 私はカバンを開けながら言った_ 「ええ、見てよほら、あのフェイスライン」 親友が指差すと、転校生が振り返った_ 目が合って、ニコッと彼は笑った_ 「とりあえず、明日からは外して来ること」 先生はそう言って、教室を出て行った_ 「ねえ、いまさ、あんた見て笑わなかった?」 「うん、笑ったね」 私はカバンに教科書を入れた_ 「え、もしかしてもう話したの?」 「ううん、まだだけど、いちおう顔見知りだから」 「え? 待って、どう言うこと?」 親友は私の腕を掴んだ_ 「んん、小学校が同じだった」 「え、じゃあ仲良し?」 「いや、小5のときにあっちが引っ越したから、そんな覚えてない」 カバンを肩に掛けると、親友が立ち上がった_ 「絶対なんかあった、だって笑ったじゃん?」 「あっちがチャラくなっただけでしょ、ピアスも開いてるし」 彼の席には、相変わらず女子が集まっていた_ 「ええ、運命の再会なのに」 親友が私の肩を揺らした_ 「運命じゃないよ、ただ戻って来ただけでしょ」 そのあと親友と商店街を歩いていたら、ゲームセンターの前に彼がいた_ 女子3人とずいぶん楽しそうに話をしていた_ 「ごめん、やっぱ私帰るわ」 「ええ、マリカしようよお」 親友が私のカバンを掴むと、商店街に笑い声が響いた_ 「ねえ、先生に怒られたでしょ?」 女子のひとりが、彼の耳に触れた_ 頷く彼の耳には、ピアスが付いていた_ 「怒られたよ、でも塞ぐ気はないね」 彼は笑いながら言った_ 「やばあ」色めき立つ女子の声を聞きながら、私はため息を吐いた_ 「行こ」親友の手を掴むと、彼がピアスを揺らした_ 「このピアス、綺麗でしょ?」 彼は女子に顔を近づけた_ よく見るとそれは、 「あ……」 私が小学生のときにあげたピアスだった_ 小5の夏休み、引っ越してしまう彼にピアスをあげた_ あのときの私は、ピアスなんてものも知らずに、ただ綺麗だからという理由でピアスを買った_ それを彼にあげると『なにこれ』って、すぐにポケットに仕舞った_ 「なにこれって言ったくせに……」 私はカバンを握りしめた_ 「ん?」 親友と目が合った_ 彼は、むかしっから口が悪くて、騒がしい性格のくせに、女子と話すときだけは耳を赤くした_ 東京に行ったせいか、いまじゃ耳を赤くすることなく、女子と普通に話していた_ 「なにが、綺麗でしょだよ……」 私は背中を向けて、歩き出した_ 「ねえ、帰るの?」 「うん、また明日」 私は手を振って、駅に向かった_ 信号を待ちながら、彼と目が合ったときのことを思い出した_ 彼は、顔色ひとつ変えずに微笑んでいた_ 「ほんと、なんなん……」 でも、よくよく考えたら、 「耳、真っ赤だったわ」 なんだか、時が戻ったみたいに私の口角は上がった_ 『塞ぐ気はないね』 彼との離れていた時間が、一気に跳んだ_ 信号が変わって、 「まじ、意味わかんない」 私はスキップをした_ 遠回りをするはめになった私のローファーは、アスファルトの上で、軽快な音を鳴らした_ 2026/04/26に公開19,573 回視聴 4.78%8623「鍵、閉めときなよ」酔い潰れた私に元彼は言った_ 「なんでいるの?」 私はソファから起き上がった_ 「おれ帰るから、鍵閉め忘れないようにね」 さっきまで居酒屋にいたのに、元彼は私のひざに毛布を掛けた_ 「もしかして送ってくれたの?」 「うん、みんな家わからないって言うから」 元彼はそう言って、ペットボトルの蓋を開けた_ 「はい、お水」 「ありがと……」 私は、ひと口だけ飲んだ_ 「鍵、ここに置いとくから」 元彼は本棚の上に手を伸ばした_ 「私、そこ届かないんだけど」 「背伸びしたら届くでしょ?」 「私、酔ってるんだよ?」 「酔ってないくせに」 「え?」 「ぜんぜんお酒の匂いしなかったけど?」 「ちゃんと、私の顔見てよ?」 「顔が赤いのは、チークを濃くしてるだけでしょ?」 元彼はそう言って、時計を見つめた_ 「そろそろ行かないと」 カバンを手に、背中を向けた_ 「それじゃあ、お邪魔しました」 「待って」 元彼が、ゆっくりと振り返った_ 「ん?」 「終電、間に合うの?」 「ああ、大丈夫、彼女の家すぐそこだから」 「え」 私は、ペットボトルを握りしめた_ 「あれ? みんなから聞いてない?」 「聞いてない」 私は首の後ろを押さえた_ 「そっか、でも、今日で別れることになるけどね」 「なんで?」 「元カノの家に上がったとか、彼氏として最低でしょ」 元彼と目が合った_ 「隠せばいいじゃん……」 私は、毛布を口もとに当てた_ 「いや、ちゃんと話すよ」 元彼はまた背中を向けた_ 「私のせいだね、ごめん……」 「ううん、疑っておきながら、背中に乗せたおれが悪い」 元彼はそう言って、天井を見上げた_ 前髪を掻き上げて、玄関に向かって歩き出した_ 私は、元彼の背中を見つめた_ 別れた日も同じように、私はソファから動かなかった_ あのときは喧嘩して出て行ったくせに、元彼はちゃんと合鍵で鍵を閉めた_ 私は立ち上がった_ 毛布を握りしめて、元彼を追いかけた_ 「ん?」 元彼が振り返った_ 「鍵、閉めときなって言ったじゃん」 「ああ、ちゃんと閉めとかないとね」 元彼は下を向いて、靴紐を結んだ_ 立ち上がって、ドアノブに手をかけた_ 「あのときは喧嘩して言えなかったけど、いままでありがとう」 元彼は言った_ ドアが開いて、私はちいさく頷いた_ ずっと密かに私は、仲直りをしないことで元彼と繋がれてる気でいた_ 生温い風が吹き抜けて、私は涙を堪えた_ ドアが閉まるギリギリまで、私は顔を上げなかった_ 最後に、目が合った_ ドアが閉まって、足音だけがちいさく響いた_ 薄暗いリビングで、私は本棚の上に手を伸ばした_ 上げたかかとが、元カレに抱きつくときと同じ高さで、涙がこぼれた_ にじむ視界の中で、私は鍵に触れた_ 「え……」 それは、合鍵だった_ 私は床にしゃがみ込んだ_ 『ほら、危ないからこっち来て』 店の前で元彼は、私を背中に乗せてくれた_ あのとき、元彼の首からは香水の匂いがした_ それは、 『ねえ、おれにも選んでよ?』 別れる前に選んであげた、香水の匂いだった_ 彼がリビングに残したのは、部屋の合鍵と、ベルガモットの香水の匂いだった_ 2026/04/23に公開255,928 回視聴 2.98%7,1167『私、結婚するなら25がいい』 まだ22歳の彼女は言った_ それでも俺は、プロポーズをすることにした_ 就活中だったし、まだ同棲するかも決めてなかったけど、俺は指輪を用意した_ クリスマスの3週間前、レストランに電話を掛けた_ 「窓際の席あいてますか?」 『埋まっておりまして……』 思い出の席は取れず、すでに満席だった_ 代わりに彼女の家で、手作りのコース料理を振る舞うことにした_ クリスマス当日、雪が降っていた_ 俺は大学を早めに出て、バス停に向かった_ 途中、激しい頭痛に見舞われて、そのまま近くの病院に駆け込んだ_ 診察の結果、『脳の血管が狭くなっています』と言われた_ 『薬での治療を受けてもらいますが、いつ血管が破裂するかわかりません』と、言われた_ 油断はできないとのことだった_ 入院の日程を決めて、俺は病院を出た_ 時刻は21時を過ぎていた_ バスを待ちながら俺は、スマホで病名を調べた_ 『余命3年』と、書いてあった_ ネットの情報だから鵜呑みにはできないけど、このままプロポーズをしてもいいのか、悩んだ_ いくら待っても、バスは大雪の影響で来なかった_ 俺は指輪を手に、走り出していた_ 途中、足を滑らせて足首を痛めた_ 片足を引きずりながら、何度も顔を上げた_ ポケットの中でスマホが震えた_ 耳に当てると、彼女から『ごめん、もう待てない』と言われた_ 時計台の針は、12時を指していた_ 俺は足を止めて「どうした?」と、聞いた_ 『なんか疲れた』 彼女は言った_ 肩が小刻みに震えた_ 『さすがに今日は、守ってほしかった』 付き合って3年、俺は待ち合わせに遅れることが多かった_ 記念日も忘れるようになったし、レストランの予約だって、もっと早くにできたはずだった_ クリスマスなのに俺は、また彼女を怒らせてしまった_ 「ごめん」 俺は、左足を押さえた_ 「ほんとごめん」 下げた頭が痛かった_ 「すぐに向かうから」 泥まみれの雪にひざをついて、スマホを耳に押し当てた_ 『ううん、もういいよ』 紙袋が、雪の上で倒れた_ 「待って……」 真っ白なケースが、泥の中に落ちた_ 『切るね』 視界が白く霞んだ_ 「わかった……」 電話が切れて、雪が音もなく降り注いだ_ 「大丈夫かよ」 入院してすぐ、大学の友人がお見舞いに来てくれた_ 「はい、漫画とメロン」 友人は笑って、ベッドに椅子を近づけた_ 「で、おまえらなんで別れたん?」 友人は、プラスチックのフォークをカットメロンに刺した_ 「まあ、いろいろあって」 俺は、フォークを握った_ 「プロポーズ、しようとしてたらしいじゃん?」 友人は言った_ 「まあ、あのときはね」 俺は、メロンを口に近づけた_ 「いや、彼女のほうが」 「え……」 あごに、メロンが当たった_ 「クリスマスの日、おまえらレストラン予約してたやろ?」 「いや、してないけど……」 俺は、フォークを握りしめた_ 「彼女が予約したって、友達に話してたらしいけど」 「え……」 「なんか2ヶ月前から、窓際の席を取ってたって」 友人と、目が合った_ 「そこで、プロポーズするって」 甘い香りが、鼻先を掠めた_ 「そんなはずがない」 俺は首を振った_ 「だって……」 彼女は言っていた_ 結婚するなら25って_ その数字を早めようとしたのは、俺だけのはずだった_ 「どうしてあの日、会いに行かなかったん?」 友人の声が、遠くなった_ 玄関先で、帰りを待つ彼女の姿が浮かんだ_ 『25日、楽しみだね』 俺は、首を振った_ 「そんなわけがない」 まぶたの裏には、彼女の笑った顔が映った_ 『私、結婚するなら25がいい』 12月25日、俺は恋人をやめようとしていた_ 彼女も、家族になろうとしていた_ 25に俺たちは、同じ思いを抱いていた_ 俺は、ゆっくりと天井を見上げた_ 「そっか……」 あご先から、涙が落ちた_ 「そっか……」 視界がぼやけた_ 「泣くなよ」 友人が、ティッシュを差し出した_ 「いや、あまりにも美味しくてさ」 俺は、メロンを口に入れた_ 「ああそう、それはよかった」 友人の手のひらが、肩に触れた_ 「高かったんだからな」 「うん、ありがとう」 カーテンが揺れて、あたたかい風が吹き抜けた_ 窓の外は、桜で満開だった_ それはひらひらと、真っ白なシーツに、薄桃色の花びらを残した_ 2026/04/21に公開16,933 回視聴 2.84%4422「別れてよかった」映画館で元カレが言った_ 「泣くの早すぎ」 元カレは笑って、ハンカチを差し出した_ 「だって、予告だけで泣けるんだもん」 私は、ハンカチを目尻に当てた_ 「また涙もろくなった?」 「うるさい」 私は、ハンカチを元カレに投げた_ 「そっちだって、泣いてるじゃん」 「これは、ポップコーン触った手で目を触ったからだよ」 元カレはハンカチを拾って、指先を拭いた_ 「今日はありがとね、来てくれて」 元カレはそう言って、スクリーンを見つめた_ 「誘ったくせにさ、座席はひとつズラすんだ?」 私は、あいだの座席を叩いた_ 「もう俺たちカップルじゃないし、ちゃんと空けとかないと」 元カレはそう言って、笑みを浮かべた_ 「いる?」 元カレは、ひざの上でポップコーンを揺らした_ 「塩味でしょ、キャラメル味がいい」 「はい、ひとくちだけ」 元カレはポップコーンを近づけた_ 手を伸ばすと、照明が落ちた_ 手もとが見えなくなって、私は前を向いた_ 「とれた?」 「静かに、始まるよ」 スクリーンが白く光って、映画が始まった_ 元カレは、キャラメル味が好きな私に塩味を差し出した_ 半年も経てば、好きだった人の好みも忘れてしまうんだと、私は指先を見つめた_ 先週の日曜日、引っ越しの準備をしていたら映画の前売り券が出てきた_ それは、元カレと別れる前に購入したものだった_ 『前売り券、まだ持ってる?』 まるで見計らったみたいに、元カレから連絡が来た_ 私は『あるよ』と返した_ 『観に行かん?』 『うん、いいよ』 私は半年ぶりに、会える日をラインで送った_ 映画館の入り口で、元カレはポップコーンを片手に、大きく手を振っていた_ 私は目を逸らして、元カレのもとに駆け寄った_ 『前髪、また失敗したの?』 相変わらず元カレは無神経で、私の口角をすぐに緩めた_ 『は? 大成功だし』 そのあと前売り券を見せ合って、予約していた席に着いた_ 私は、目の前の映画よりも、指先の感触だけが気になった_ さっき、ポップコーンの中に手を入れたとき、なにか冷たいものに触れた_ あの感触はたぶん…… 「ちゃんと集中して」 顔を上げると、元カレと目が合った_ エンドロールが流れていて、私は「そっちこそ」って、スクリーンを指差した_ 元カレはちいさく笑って、私の服を引っ張った_ 「なに?」 「ポップコーン」 元カレの顔が、すぐ近くにあった_ 「ぜんぜん食べてないじゃん」 私はちいさな声で言った_ 「うん、貰って?」 そう言って元カレは、私の手を引き寄せた_ 私は、ポップコーンの中に手を入れた_ 「え……」 中には、異物が混ざっていた_ 顔に近づけると、それは指輪だった_ 「なにしてるの?」 私は、元彼を見つめた_ 照明が上がって、視界が一気に明るくなった_ 元彼の顔が白くぼやけた_ 「結婚しよう」 一瞬、聞き間違いかと思った_ 「別れてよかった、大切なことに気づけたから」 彼は、真っ直ぐこっちを見ていた_ 私は、両手で顔を塞いだ_ 「目に沁みるよ」 塞いだ手のひらからは、キャラメルの甘い匂いがした_ 「うそつき……」 指の隙間からは、蜜色のポップコーンが見えた_ 「俺と、またいちからやり直そ」 私は、すぐに首を振った_ 下を向いたまま、強く指輪を握り締めた_ 「あの、すみません……」 顔を上げると、店員さんと目が合った_ 「あ、ごめんなさい」 私たちは急いで映画館を出た_ 「ほんと、恥ずかしいよ」 私は、映画館を出てすぐ彼の肩を叩いた_ 「うん、いま言うことじゃなかった」 彼はすこしだけ笑って、ポップコーンを揺らした_ 肩が触れ合って、同じタイミングで目が合った_ 「それ、早く気づけばよかったね」 彼は、私の左手を指差した_ 「ううん、私がすぐに言うべきだった」 私は、薬指を撫でた_ 「まあ、何も聞かずに誘った俺が悪い」 彼は、手のひらを開いた_ 「ううん、会って話したかったから」 私は、腕を伸ばした_ 彼の手のひらに、指輪を落とした_ 「ごめんね」 「ううん、俺のほうこそごめん」 彼は、指輪をポケットにしまった_ 私は、前髪を押さえた_ 「それじゃあ、ここで」 彼は目を細めて、手を振った_ 「うん、話せてよかった」 私も手を開いて、軽く振った_ 「元気でね」 「うん、そっちもね」 歩き出す彼の背中を、私はちいさくなるまで見届けた_ まぶたを擦ると、指先が目に沁みた_ 手のひらにはまだ、キャラメルの甘い匂いが残っていた_ 私は、左手を見つめた_ 薬指を摘んで、ゆっくりと婚約指輪を外した_ 2026/04/19に公開135,270 回視聴 3.38%4,22515兄が捕まった_ 元恋人の家に入ったらしい_ 「ねえ、なんで?」 留置所で兄と、20分だけ話ができた_ 「鍵が、開いてたから」 「は?」 私は、兄の横顔を見つめた_ 兄はずっと、面会室の窓ガラスだけを眺めていた_ 「そもそもなんで家に行ったわけ?」 「助けたかったから」 兄は、表情を変えることなく言った_ 「助けたかった?」 「うん、電話をしたら出てくれて」 「助けてって言われたの?」 「ううん、ビデオ通話だったからすぐに切られた」 「じゃあどうして?」 「前髪が、短くなってて」 「前髪?」 私は、おでこを押さえた_ 「不安でどうしようもないとき、彼女はよく前髪をなくなるまで切ってたから」 「ただ切ってただけでしょ?」 「ううん、それ以外にも」 兄は、右腕を軽く持ち上げた_ 「浴槽が赤く染まったことが、2回あった」 兄はそう言って、右腕をなぞった_ 「それで、またそうなってるかもって、家に入ったわけ?」 「うん、チャイムを鳴らしても反応がなかったから」 兄はまた、窓ガラスを見つめた_ 「中に入ったら、浴室の明かりだけが付いてて」 「それで?」 「結局、誰もいなかった」 「はあ……」 私は、こめかみを押さえた_ 兄はそのあと、帰宅した元恋人と鉢合わせて、一緒にいた彼氏さんに通報をされた_ 「あっちに恋人がいることは知らなかったの?」 「うん」 兄は、ゆっくりと天井を見上げた_ 「そもそもなんで別れたの?」 「俺から振った」 「は? じゃあなんで連絡するわけ」 「嘘ついて別れたから」 ようやく兄と、目が合った_ 「もしかして、あのこと言ってないの?」 「うん」 兄は、先月まで病院にいた_ 生存率は30%と言われていて、そのあと先生から『いまの進行速度なら、再発の可能性は低い』と言ってもらえた_ 「俺、彼女に冷めたって言ってしまったから」 兄は、手のひらを見つめた_ 「どうせ生きるなら、本当のことを伝えたくなって」 さすがに妹の私でも、腹が立った_ 「お兄ちゃん、やってることやばいよ?」 私は、唇を噛み締めた_ 「ぜんぶ、間違ってるよ?」 「わかってる、だからもう近づかない」 兄が顔を上げると、奥にいた警察官と目が合った_ 「ほんと、なにやってんの?」 私は、手のひらを握り締めた_ 「ごめんね」 兄の声が、ガラス越しに響いた_ 「私に謝らないで」 私は下を向いたまま、首を振った_ 「だって、お兄ちゃんのせいで……」 声が震えた_ 「お兄ちゃんのせいで、あのふたりは……」 握り締めた手に、力が入った_ 「そこまでです」 警察官が立ち上がって、兄の後ろに立った_ 「待ってください」 兄が言った_ 警察官を見上げて、ゆっくりと口角を上げた_ 「彼女は元気ですか?」 警察官は目を逸らして、兄の肩を掴んだ_ 兄は不気味な笑い声を上げて、肩を揺らした_ 「僕はまだ、大好きなんです」 「やめろ」 「彼女もきっと、僕のことを求めてる」 兄は、見たこともない表情で、警察官の腕を掴んだ_ 「お願いします、ここから出してください」 床に膝をついて、頭を両手で抱えた_ 「どうして僕は捕まらないといけないんですか?」 それはもう、血の繋がった家族には見えなかった_ 「早く、僕をここから出してくださいよ」 兄がボロボロになっていく姿を、私は見ていられなくなった_ 兄はいま、なにをしているのか_ 元恋人への未練が、こうさせたのか_ もうふたりの邪魔ができないように、兄は狂ったふりをしているのか_ 私にはもう、わからなかった_ そのあと、 面会室を出るとき、兄と一瞬だけ目が合った_ 「お兄ちゃん」 最後に呼びかけたけど、兄はなにも返さなかった_ そのまま扉は閉まって、廊下には笑い声だけが響いた_ 兄が犯した罪_ それは、決して許されるものではなかった_ 元恋人の幸せを崩し、いまもなお、ふたりが修復されたかはわからないまま_ ぜんぶをバラバラにした兄は、もう元には戻れないのかもしれない_ もう2度と私は、兄をお兄ちゃんとは呼べないのかもしれない_ それでも、 兄が最後に見せた表情_ それは、 『なにがあっても、お兄ちゃんが守ってやるから』 幼い頃から見てきた、 お兄ちゃんの揺るがない、涙混じりの笑顔だった_ 2026/04/17に公開139,059 回視聴 2.99%3,86217『いまから飲みに行くわ』遠距離中の彼女に、嘘のラインを送った_ とにかく俺は、内緒で会いに行きたかった_ ここから北海道までは、飛行機で約2時間_ そのあいだスマホは使えない_ そうなると、彼女を騙す必要があった_ 『いってらっしゃい』 彼女は疑うことなく、スタンプを返してきた_ 俺はすぐに機内モードにして、窓の外を眺めた_ 数日前から彼女は『最近、忙しいから』って、つぎに会える日を決めてくれなくなった_ 朝まで繋げていたビデオ通話も、誘ってくれなくなった_ 急に『推しの配信があるから』とか言い出して、最近は俺よりも夢中になれるものを見つけたらしい_ それがただのネットの中の人ならいいけど、どうしても俺は、別の存在を考えてしまう_ なによりも彼女は、元カレと3年近く付き合っていたから、俺はやっぱり変な妄想をしてしまう_ ほんとは映せないところにいるんじゃないかとか_ 元カレとまだ繋がってるんじゃないかとか_ 新生活1ヶ月目にして俺は、東京を飛び出して、彼女の家に向かっていた_ 着いてすぐ、ベランダを見上げた_ カーテンは閉まっていて、電気は付いていなかった_ 「寝てるんかな……」 俺はとりあえず、インスタを開いた_ 1時間前にストーリーが上がっていて、『作ってみた』と、シフォンケーキがふたつ並んでいた_ テーブルの上にはスノードームも映っていて、それは記念日に買った、お揃いのやつだった_ 「よかった、家にはいるのね」 俺はもう1度ベランダを見上げた_ 息を吐くと、ベランダのカーテンが揺れた_ 人の気配を感じて、 「やばっ」 俺は急いで、マンションの下に隠れた_ 「なんで? 気づかれた?」 白い息が、スマホを曇らせた_ 内緒で会いに来たことが、急に怖くなった_ エントランスで俺は、息を潜めた_ 「いやでも、顔見たいし」 俺は、部屋の番号を打ち込んだ_ 『え……』 彼女はすぐに出てくれて、 『なんでいるの……』 声を震わせた_ 俺は笑いながら、前髪を押さえた_ 「ちょっと飲み過ぎてさ、帰る家間違えた」 『意味わかんない……』 彼女は泣きそうな声で言った_ 「飲みに行くって言ったじゃん」 俺は、コンビニで買ったお酒を見せた_ 『飲みに行くって、私の家に?』 「うん」 頷きながら俺は、買い物袋を握り締めた_ 彼女は何も言わずに、エントランスの鍵を開けた_ 俺はゆっくりと中に入った_ エレベーターに乗って、5階のボタンを押した_ いまごろ彼女は、慌てて部屋を片付けているのか_ それとも、突然来たことにイライラしているのか_ 扉が開くまでのあいだ、俺は天井を見上げた_ もし、男がいたらどうしよう_ 怒らないといけないよな_ 今日俺は、別れることができるのか_ 「大丈夫、きっと大丈夫」 扉が開いた瞬間、身体が一瞬止まった_ 「ほんと、さいてい」 ヘアオイルの匂いがして、俺の目の前には彼女のおでこがあった_ 強く抱き締められて、俺は買い物袋を床に落とした_ 袋の中で缶が弾けて、炭酸の音が溢れた_ 顔を覗き込むと、彼女と目が合った_ 「そう言うことね」 俺は、彼女の前髪に触れた_ 「だから、まだ会いたくなかったの」 彼女はそう言って、前髪を両手で押さえた_ 彼女の前髪は、短くなっていた_ 「切り過ぎたの?」 俺は笑いながら、彼女のおでこを撫でた_ 「ほら笑うじゃん、だから嫌だったの」 彼女は下を向いて、俺の肩を押した_ 「かわいいよ」 俺は彼女を抱き締めた_ そのあと、部屋には上がらずにコンビニに向かった_ 「ごめんね、私のせいでお酒だめにして」 「いいよいいよ、夜のコンビニふたりで行くの憧れてたし」 俺は、彼女の服のそでを掴んだ_ 「寒いと星が綺麗だね」 俺が空を見上げると、 「東京は汚いの?」 彼女も空を見上げて、俺の手を握った_ 「んん、見上げたことないからわかんない」 俺が下を向くと、 「あ……」 彼女の足が止まった_ 「ん?」 俺は彼女と目を合わせた_ 「いや、なんでもない……」 風が吹いて、彼女の前髪が揺れた_ そのあと、彼女のマンションに着くと、 「どうしたの?」 彼女はドアノブを握ったまま、動かなくなった_ 顔を覗き込んでも、目が合わなかった_ 「やっぱり……」 そう口にして彼女は、くちびるを噛んだ_ 白い息が漏れて、俺は彼女の肩に触れた_ ゆっくりと扉が開いて、 「おかえり」 中から声がした_ 俺は、彼女の肩から手を離した_ 「そっか……」 覗き込んだ先には、男が立っていた_ 俺は、彼女の横顔を見つめた_ 「信じてたのに」 切り過ぎた前髪はもう、ただの失敗にしか見えなかった_ それでも俺は、部屋の中へと足を進めた_ 2026/04/15に公開1,292,992 回視聴 1.85%22,21072遠距離中の彼氏から『いまから飲みに行くわ』って、ラインが来た_ 私は『だれと?』と文字を打って、すぐに消した_ 『いってらっしゃい』と打ち直して、送信ボタンを押した_ エアコンを切って、布団に潜った_ 遠距離が長続きする方法は『報告』『連絡』『相談』らしい_ いわゆる『ほうれん草』というやつ_ でも『飲みに行く』って報告されたところで、私の頭の中はモヤモヤする一方だった_ だって『女子はいないよ』とか『何時には帰るよ』とか、安心できる言葉も言ってほしかった_ ほうれん草だって、そのまま食べたらえぐみがすごいし、茹でてアクを出さないと、美味しくはない_ 彼氏のラインは、アクだらけだった_ 私は布団から出て、キッチンに向かった_ ストーリーに、さっき作ったシフォンケーキを載せた_ あえて、ふたつ並べた_ 『いいね』が付くたびに、私は彼氏の足跡がないかチェックした_ そのあと映画を流したけど、なんにも頭に入らなかった_ 布団に戻ると、23時を過ぎていた_ いまごろ彼氏は、終電をなくした女の子と歩いてるかもしれない_ こんなときに限って、私の妄想はフル回転した_ 彼氏は東京に住んでいて、北海道からは千キロも離れている_ 見に行こうにも行けないし、彼氏の位置情報は非表示のまま、ラインも来ていなかった_ ひと通り友達のストーリーを覗いたあと、私はグーグルマップを開いた_ 彼氏の家の住所を入れて、ストリートビューで散策した_ どの道も晴れていて、どこかに彼氏が映るかもって、私は何度もスマホをなぞった_ ここは引っ越しの手伝いをしたときに歩いたなとか、 ここのパン屋に入ってたまごサンドを食べたなとか、 ここの自販機でコンポタ買ってくれたなとか、 そんなちいさな思い出が、いまとなっては辛い映像となって、私の胸を苦しめた_ 涙が出てきて、私はマップを閉じた_ 音楽を流して、枕を抱きしめた_ 彼氏がよく歌ってた曲が流れて、ラインの着信音が鳴った_ 私はスマホを掴んで、すぐに顔の前にやった_ 画面には、見覚えのある顔が映っていた_ 『やっと出てくれたあ』 ビデオ通話になっていて、元カレがこっちを見て笑っていた_ 「さいあく……」 私はすぐに、切ろうとした_ 『待って待って、いっかいこっち見て?』 画面をよく見ると、元カレは、友達のラインから掛けていた_ 「ねえ、ブロックしてる意味ないよね?」 私はため息を吐いた_ 『ごめんごめん、どうしても話したくてさ』 「もう関わりたくないんだけど」 『あのさ、ベランダ出れる?』 「は?」 私は、ベッドから起き上がった_ 「うそでしょ?」 『いいから出て』 私はカーテンを開けた_ 「なに?」 窓の外には、誰もいなかった_ 『ひびった? いるわけないじゃん』 スマホから、元カレの笑い声がした_ 私は電話を切った_ カーテンを閉めると、チャイムが鳴った_ 「え」 インターホンに近づくと、乱れた髪が映っていた_ 「なにしてるの……」 『ちょっと飲み過ぎてさ、帰る家間違えた』 モニターの中で、彼氏が笑った_ 「なんでいるの……」 私は、彼氏を見つめた_ 『いまから飲みに行くって言ったじゃん』 彼氏は、買い物袋を見せた_ 「飲みに行くって……」 『うん、もっと早く来たかったのに、飛行機が遅れててさ』 そう言って彼氏は、頭についた雪を払った_ 私は鍵を開けて、玄関に走った_ 靴のかかとを踏んだまま、エレベーターの前で待った_ 「おまたせ」 エレベーターが開いて、私は彼氏に飛びついた_ 買い物袋が落ちて、お酒の缶が音を鳴らした_ 「ほんと、さいてい」 私は強く抱きしめた_ 「ごめんごめん」 袋の中で、お酒がこぼれていた_ 「あ……」 「いいよいいよ、また買いに行こ?」 彼氏が笑った_ 「うん、行く」 私も笑った_ それから彼氏と、夜のコンビニまで歩いた_ 「ねえ、こっちから帰ってみない?」 私は、知らない道を指差した_ 「ええ、だいじょうぶ?」 初めての道を、彼氏と手を繋いで歩いた_ 「待って、ほんとに迷ったかも」 「ほらあ、だから言ったじゃん」 それでも、グーグルマップには頼らなかった_ 「まあでも、一緒ならなんでもいっか」 彼氏が、私の手を握って星を見上げた_ 「ね? 信じてよかったでしょ」 私も手を握り返して、彼氏の横顔を見上げた_ 月が、青く光っていた_ 「あ……」 「ん?」 彼氏が、こっちを向いた_ 「いや、なんでもない」 私は、彼氏の手を握った_ 月明かりが、アスファルトに影を落とした_ そのあと、家に帰ると、 「やっぱり……」 鍵を閉め忘れていた_ ドアノブに触れると、中から足音がした_ ゆっくり開けると、 「おかえり」 元カレが立っていた_ 冷たい風が吹き抜けて、 「信じてたのに」 その声だけが、私の足もとに響いた_ 2026/04/12に公開347,218 回視聴 2.83%9,02134父からの間違い電話が、わざとだったと気づいたのは、父が亡くなって数日後のことだった_ 『スマホに変えたんやけどよ、つい、ボタンを押し間違えてしまって』 父は頻繁に、使い慣れないスマートフォンで電話を掛けてきた_ 最初は出ていたけれど、大学の講義中だったり、彼女と出かけている時だったり、段々と面倒になっていき、俺は放置するようになっていった_ 着信履歴には『お父さん』という文字が、10件近く残っていた_ 親というものは、離れると大事に思うのに、近づき過ぎると鬱陶しく感じる不思議な存在だった_ そんな父は、お酒を飲んだまま入浴したらしく、そのまま眠ってしまい、浴槽の中で息を引き取った_ 浴室には、父の携帯電話が落ちていた_ それは、青色のガラケーだった_ 父は、スマホになんか変えていなかった_ 使い慣れたガラケーで、わざと俺に電話を掛けていた_ そのあと発覚した母の不倫_ それに父は気付き、ひとりで抱え切れずに、俺に電話を掛けていた_ そう、推測する_ 『おう、どうした』 いまだに夜、間違えて父の電話に掛けてしまう_ 繋がらない深海のような無音の中で、父の声がする_ 『ああ、また間違えて掛けてたか、ごめんな』 相変わらず父の声は優しくて、 『忙しいんか? 無理はしとらんか?』 真っ先に、俺のことを心配してくれる_ 『そうか、元気にやっとるんやな、おまえもハタチになったんやし、今度ふたりでお酒でも飲もうや』 父と交わした、生前の約束_ 『ん、どこで切るんやっけ』 父はいつも、自分から電話を切らなかった_ 『おまえのほうから、切ってくれ』 いつも寂しそうに、父は笑った_ 『ありがとな』 父を発見したとき、浴室にはガラケーが落ちていた_ 『お父さんっ』 浴槽から伸びる父の手は、氷みたいに冷たかった_ 『お父さんっ』 開かれたままの待ち受けには、卒業式の日に撮った写真が映っていた_ 『では、撮りますね』 父が最後に見た景色、 それは、 『はい、笑って』 不慣れな3人の、ぎこちない笑顔だった_ お墓の前で俺は、 「お父さん、久しぶり」 父が遺した日本酒を、 「乾杯」 約束通り交わした_ 2026/04/11に公開101,351 回視聴 1.59%1,47410新しいクラスには、奇妙な噂を持つ転校生がいる_ 「ねえ、前髪切った?」 そいつは、顔はいいのに距離感がバグってる_ 「ねえ、切ったよね?」 しかも、私の前の席だから、どうしても無視ができない_ 「ちょっとさ、前髪あげてみてよ?」 「なんで?」 「デコフェチだから、おれ」 そして噂通り、女子のおでこが好きらしい_ 奇妙と言うか、ただのやばいやつだった_ 2週間前に転校して来たくせに、2ミリしか切ってない私の前髪に気づきやがった_ 放課後、商店街を歩いていたら、やつがいた_ カラオケ館の前で、女子2人と話をしていた_ 「ねえ、前髪あげてみてよ?」 「ええ、こう?」 女子2人の笑い声が、商店街に響いた_ 私はこめかみを押さえて、商店街を引き返した_ 今日は、違う道で帰ることにした_ 懐かしい住宅街を抜けると、よく小学生のときに遊んでいた公園が見えた_ 「うわ、なつかし」 私は久しぶりに、ジャングルジムの頂上を見上げた_ 錆びれたペンキが、小2の夏に見た花火を思い出させた_ 『なまえは?』 10年前、私はこのジャングルジムから落ちたことがあった_ 『おれの?』 『うん』 そこで、下敷きになった男の子がいた_ 『聞いてどうするの?』 その子は、おでこを押さえながら私に背中を向けた_ 『いしゃりょう……』 私は、当時ドラマで耳にした言葉を口にした_ 『いしゃりょう?』 『うん、ケガさせちゃったから……』 私は、浴衣のそでを握りしめて頭を下げた_ 『いいよ、これくらい』 『でも……』 足もとには、りんご飴が落ちていた_ 『いっしょう残るかもしないし……』 私が顔を上げると、目が合った_ 遠くから花火の打ち上がる音がして、 『じゃあ、いっしょう忘れないから』 彼の顔が、逆光で隠れた_ その声はやけに低くて、私の背中に汗を流した_ 私は怖くなって、そのまま逃げ出してしまった_ あれから10年_ 私はその声を忘れることはなかった_ 私はカバンを投げ捨てて、ジャングルジムを掴んだ_ 息が乱れて、地面にしゃがみ込んだ_ 『いっしょう忘れないから』 きっと彼は、私のことを恨んでる_ 『はじめまして、10年間アメリカに住んでました』 転校して来た彼は、前髪を押さえながら頭を下げた_ 『今日からよろしくお願いします』 きっとあの前髪の奥には、あの日の傷が残っていた_ 夕方のチャイムが鳴って、私は立ち上がった_ スカートを叩くと、切り立ての前髪が揺れた_ 『ねえ、前髪あげてみてよ?』 あの日ぶつけたおでこが、チクチクと傷んだ_ 私は、両手で前髪を押さえた_ 「ぜったいに、バレたくない……」 暗くなり始めた空には、月が出ていた_ それはすこしだけ欠けていて、 一生消えない傷みたいだった_ 2026/04/09に公開31,858 回視聴 2.56%76931234...22>次へ×インフルエンサーコンテンツCSVダウンロードフォロワー総数、フォロワー増減数、エンゲージメント数、エンゲージメント率ダウンロード※ データには投稿ID, 投稿URL, 説明文, 再生数の他、LIKE数, コメント数, シェア数, 動画尺, 公開日が含まれます。 コンテンツをCSVでダウンロード