終電まであと8分_先輩は「終電で帰る」と言っていた_ 居酒屋の個室に、時計はなかった_ テーブルの上には、先輩のスマホがあった_ 光るな_ 鳴るな_ もしここで通知が来たら、先輩は終電に気づいてしまう_ お願いだから、このままでいさせて_ 駅までは走れば3分_ 私の家までは歩いて15分_ 昨日、部屋の掃除はしておいた_ シーツも洗っておいた_ 今日こそは、先輩の靴を私の家の玄関で脱がせたかった_ 「つぎなに飲む?」 焼き鳥を食べ終えた先輩が、首を傾げた_ 「ええと」私は、グラスの中の氷を揺らした_ たしかタブレットには、時間が表示されていた_ 「自分で頼みます」私はタブレットに手を伸ばした_ 「あれ? ネイル変えた?」 先輩が、私の左手に焼き鳥の串を向けた_ 裸にされた串が、ゆらゆらと揺れた_ 「あっ」私はタブレットから手を離した_ 「前髪も切ったよね?」 先輩と目が合って、私はおでこを押さえた_ 「どっちもよく似合ってる」 先輩の笑顔に、私の両手は一気に熱くなった_ 「おかわり頼むね」 先輩がタブレットに手を伸ばした_ 「いや」 私は首を振った_ 「嫌?」 先輩が、タブレットを胸に抱えた_ 「いや、嫌とかじゃなくて……」 「酔ってるの?」先輩が目を細めた_ 私の左手を見つめて「あ、時間見られたくないんでしょ?」と、先輩は笑った_ 「え……」バレていた_ 「もうすぐ終電だもんね?」先輩は顔を近づけて、私の左手を指差した_ 「あ……」私の左手には、腕時計がついていた_ 「終電、気づいてるよ」 先輩に言われて気づいた_ 私はさっきから、前髪を気にしすぎていた_ おでこを押さえるたびに、私の手首は露わになっていた_ しかも、 「その待ち受け、去年の花見のやつだよね」 私のアップルウォッチは、先輩とのツーショットのままだった_ 「あっ、ごめんなさい」 私は左手をテーブルの下に隠した_ 「またさ、桜が咲いたらみんなで行こうね」 先輩が、タブレットを開いた_ 画面を操作しながら「なににしようかなあ」と、長いまつ毛を撫でた_ 「もう飲めない?」先輩が口角を上げた_ 私は首を振って「終電は……」と、下唇を噛んだ_ 先輩は笑って「終電は、明日もあるじゃん」と、頬杖をついた_ 「え……」 「はい、なににするの?」先輩がタブレットを向けた_ 「あっ、ええと」 私は人差し指を伸ばしたまま、先輩を見つめた_ 「先輩は、なににしたんですか」 「ファジーネーブル」先輩は目を細めて、少しだけ笑った_ 「じゃあ、私も」画面に触れようとしたら、先輩がタブレットを遠ざけた_ 「注文するね」そう言って先輩は、片眉を上げた_ そのあと、テーブルに置かれたふたつのカクテル_ ファジーネーブルと、カシスソーダだった_ 「え? 間違ってません?」 私がグラスを傾けると、先輩は笑って「ううん、似合ってるよ」と、カシスソーダを指差した_ 「私にですか?」 「うん」先輩はファジーネーブルを口にして、グラスの底で笑った_ 先輩が頼んでくれたカシスソーダ_ 混ぜるのがもったいなくて、そのまま飲んだ_ 「ちょっとお手洗い行ってくるね」 先輩が席を離れた隙に、私はスマホに文字を打ち込んだ_ 『カシスソーダ 意味』 検索してすぐ、私はスマホを裏返した_ 「待って……」 空になったファジーネーブルが、氷の音を立てた_ 私の肩に、先輩の手のひらの熱が伝わった_ 「帰ろっか」 振り返ると、先輩が前髪を押さえて立っていた_ 先輩の左手首には、お揃いの待ち受けが光っていた_ 「タクシー、呼んでおいたよ」 日付を超えた居酒屋の個室で、 私のほほに、やっと春が来た_ 2026/03/22に公開343,600 回視聴 4.78%14,90025結婚式の10日前、私は喪服を着ていた_ ドレスじゃなくて、お母さんを見送るための黒いワンピースだった_ 指先にはまだ、お母さんに塗ってもらったネイルが少しだけ残っていた_ 「結婚式、見せたかった……」 私は、夫の肩に顔を押し当てた_ 「だいじょぶ、式場の人も待ってくれてるから」 夫が、私の髪を撫でた_ 火葬炉の扉が閉まって、冷たい機械音が鳴った_ 左手にはまだ、お母さんの肌の匂いが残っていた_ 『お母さん、結婚式早めれるって』 1ヶ月前、私は病室でお母さんの手を握りしめた_ お母さんは『ごめんね』って、何度も私の手を親指で撫でた_ 『謝らないで』 私は、お母さんを抱きしめた_ 『ただ私たちが楽しみすぎて眠れないから、早めただけだよ』 そう言って私は、お母さんの頭を撫でた_ 耳もとでお母さんは、小さく笑った_ 『これ、渡しておくね』 結婚式まで2週間を切った日に、お母さんはノートを取り出した_ 開いたノートには、料理のレシピが書かれていた_ 『星のマークは、あんたの好きなやつね』 私の好物には、星のマークが書かれていた_ 『この通りに作ったらダメだよ? あなた味に仕立てていかないと』 家に帰るといつも、お母さんの手料理が待っていた_ 私が玄関の扉を開ければ、かならずお母さんは走ってきて『今日も、乗り切ったねえ』って、私のことをランドセルごと抱きしめてくれた_ ふたりで過ごしたアパートには、いつも炊き立てのご飯の匂いがしていた_ 私が学校に向かうときは、いつもお母さんはベランダから手を振っていた_ 私が何度も振り返るから『ちゃんと前向きな』って、お母さんによく笑われた_ お母さんの帰りが遅い日は、もう2度と会えないかもって、たった30分だけでも胸が苦しかった_ 初めて恋人ができたときは、お母さんがデートの前にネイルを塗ってくれた_ 消すのが嫌で、学校で怒られたこともあった_ 6月5日_ お母さんは、私にビデオレターを残していた_ 予定よりも遅れた結婚式で、それは流された_ 夫が撮ってくれた映像で、スクリーンの中でお母さんはこっちを見て笑っていた_ 『これは別にね、もしものときのためにとか、そんなんじゃないよ』 お母さんの声が、会場に響いた_ 『ただね、直接顔を見て口にするのが恥ずかしいから、ビデオにしてもらいました、だからね、後ろにいるお母さんのことは、振り返らないでね』 お母さんが座るはずだった席には、写真が置かれていた_ 私は振り返って、写真を見つめた_ 『ねえ、ちゃんと前向いてよ』 お母さんの声がして、私はスクリーンに身体を戻した_ お母さんがゆっくりと腕を上げて、手を振った_ 『今日が迎えられて、お母さんは幸せだよ』 顔を塞ぐと、手のひらからお母さんの匂いがした_ 『ほら、前を向いて』 夫の手が、私の肩に触れた_ 『ほんと、いい人に巡り会えたね』 顔を上げると、お母さんと目が合った_ 『ふたりの幸せを、お母さんは見守っているからね』 お母さんの目が、柔らかく閉じた_ 『でもたまには、お母さんとも遊んでね』 暗くなったスクリーンに、私は手を伸ばした_ 「お母さん、ありがとう」 前を向いて、ゆっくり手を振った_ それでもやっぱり、 私のゆびさきは、 『ねえ、動かないでよ』 まだ少しだけ、 お母さんを探していた_ 2026/03/19に公開46,600 回視聴 4.2%1,8045「あと3ヶ月です」お母さんの余命を聞いた帰り道、5年ぶりにお父さんに連絡をした_ 『卒業式のあと、ご飯行かない?』 お父さんと、高校の近くにあるファミレスで会うことになった_ 「お母さん元気?」 5年ぶりに再会したお父さんは、おしぼりを丸めながら店内を見渡した_ 「うん、元気だよ」 お母さんががんになったことは、言い出せなかった_ 私は、手にしていたスマホを握りしめた_ 待ち受けには、お母さんと去年行ったディズニーの写真が映っていた_ 「この前も、お母さんとディズニーに行ってきたよ」 私は、スマホをお父さんに向けた_ お父さんは笑みを浮かべて「なんかお母さん痩せた?」って、生姜焼き定食に箸をつけた_ 「そうかな?」私はスマホを伏せて、エビフライにフォークを刺した_ 口に運びながら、お父さんの左手に目を向けた_ お父さんの薬指には、指輪がついていた_ 「お父さんさ、いまはひとりで暮らしてるの?」 「ううん、ふたりで暮らしてるよ」 「そっか」私はエビフライの尻尾を指で摘んだ_ そのまま、口の中に入れた_ それを見たお父さんは「おいしいの?」と、眉間にシワを寄せた_ 「うん、おいしいよ」 私は指先をおしぼりに当てた_ お母さんはいつも、エビフライの尻尾を欲しがった_ 『どんなに好きでもね、受け入れられない部分ってのは出てくるんだよ』 私が彼氏と喧嘩をしたとき、お母さんはそう教えてくれた_ 『でもね、時間が経てば、そこすらも愛おしく思える日が来るんだよ』 そう言ってお母さんは、エビフライの尻尾を咥えて笑ってくれた_ 「たしか、お母さんもよく尻尾食べてたね」 お父さんはおしぼりを口に当てて言った_ 「いまでも変わらずに食べてるよ」 「おれはぜんぜん理解できないや」 お父さんは笑いながら窓の外を見つめた_ 「あ、お母さんね、最近インスタ始めたよ」 「そうなの?」 「うん、ぜんぜん投稿はしてないけどね」 私はスマホを手にした_ さっき上げたエビフライのストーリーには、お母さんの足跡がついていた_ 私は足跡を撫でて、口角を上げた_ 「お父さんはさ、インスタやってないの?」 私はスマホを見つめながら聞いた_ 「やってるよ?」 お父さんは胸ポケットからスマホを出した_ 「教えてよ」 「いいの?」 お父さんはスマホを近づけて、私のインスタをフォローした_ 「ありがと」 お父さんのインスタには、犬の写真が載っていた_ 「ねえ、ふたり暮らしって」 「うん、犬とふたり暮らし」 お父さんは笑みを浮かべて、スマホを親指で撫でた_ カチューシャをつけたお母さんの写真に、お父さんは『いいね』をつけた_ 「家の近くまで送ってくよ」 会計のあと、お父さんは車の鍵を揺らしながら言った_ 車に乗り込むと、私が中学のときによく聴いていたアルバムの曲が流れていた_ 「ちなみに今日のこと、お母さんは知ってるの?」 お父さんはシートベルトを締めながら言った_ 「うん、知ってるよ」 私はシートベルトを締めて、シートを軽く倒した_ 「そっか、ありがとうって言っておいて」 「うん」私は、お腹に手を当てて頷いた_ 「いやあ、お腹いっぱいになったね」お父さんはハンドルを握って、車を走らせた_ 「職場は家から近いの?」 「んん、電車で2時間くらい」 「遠くない?」 「大丈夫、彼氏が車で送ってくれるから」 「そっか」 信号が赤になるたびに、私はお父さんの手もとに目を向けた_ 「あのさ」 「うん?」 「来月の25日ひま?」 家の近くのコンビニで、私は聞いた_ 「たぶん休み」お父さんはエンジンを切って、スマホを見つめた_ お父さんの薬指には、お母さんと同じ指輪が白く光っていた_ 「じゃあさ、あけといて」 私は、お母さんに塗ってもらったネイルを見つめた_ 「なんかあるの?」 「うん、また詳しいことは連絡する」 私は、シートベルトを外した_ 「じゃあ、待ってるね」 「うん、楽しみにしてて」 私は、お父さんに手のひらを向けた_ 「お、可愛い」 「でしょ?」 私はミルク色の爪をお父さんの鼻先に近づけた_ 「よく似合ってる」 お父さんはそう言って、私の薬指を小指でつついた_ 「またね」 「うん、また」 お父さんを見届けたあと、私は左手を握りしめた_ 私の薬指には、指輪がついていた_ あのね、お父さん、 言えなかったけど、私、 「来月、結婚するよ」 お母さんの余命まで、あと3ヶ月_ バージンロードを歩く私の姿を、 ふたりに見てもらえるかは、まだわからないままだった_ 2026/03/17に公開129,100 回視聴 2.0%2,3649お母さんに「彼氏と別れてきた」って言ったら「一緒お風呂入ろ」って言われた_ 10年ぶりに、お母さんとお風呂に入った_ 私が浴槽に浸かっていると、「ネイルぼろぼろすぎない?」って、お母さんは洗顔をしながら笑った_ お風呂から上がると、テーブルの上には8色のマニュキュアが並べられていた_ 「ほら、塗り直すよ」 お母さんが肩を寄せてきて、私はスマホを閉じた_ 「また彼氏見てたでしょ?」って、お母さんは私の小指をつついた_ 私はスマホをテーブルに置いて「もう彼氏じゃないし」って、前髪をピンで止めた_ 「はやく選んでよ」 カラフルな瓶の中には、彼がいつも部活で付けてたリストバンドのオレンジがあった_ 「これにする」 私は、ミルク色の瓶をつついた_ 「あんたにしては、地味なやつを選んだね」 お母さんは笑って、除光液を手にした_ 「はい、まずは綺麗にするよ」 お母さんの手はカサカサしてて「なんかくすぐったいよ」って私は、眉間にシワを寄せた_ 「動かないでよ」 除光液の匂いがひろがって、私の爪がもとのピンク色に戻った_ 「じゃあ、新しい色塗りますね」お母さんはそう言って、私の爪をミルク色に染めた_ 優しい色が、私のほほに涙を流した_ 両手が使えない私のほっぺを、お母さんは両手で包んで「乾くまではじっとしててね」って、私のまぶたを親指で撫でた_ スマホが震えて、ラインの通知音が鳴った_ 画面には『俺のイヤホン、間違えて持って帰ってないよね……』と、彼からメッセージが来た_ お母さんと目が合って、私は「いまは確認できないね」って、塗りたてのネイルを見つめた_ お母さんは笑って「ええ、急ぎじゃないの?」って、スマホに顔を近づけた_ 「ねえ、あんま見ないで」 「あんたたちさ、ほんとに別れたの?」 お母さんはそう言って、私のスマホに触れた_ 待ち受けには、チュロスを咥えた彼の横顔が映っていた_ 「さっき、変えようとしてたの」 私がそう言うと、お母さんは「ええ」って、ニヤニヤしながら立ち上がった_ 彼のラインのトプ画は、カチューシャを付けた私の後ろ姿のままだった_ 「今日は、お母さんが皿洗いするね」 お母さんはエプロンを付けてキッチンに向かった_ 私は、お母さんの背中を見つめた_ やっぱりお母さんの背中は、前よりも細くなっていた_ お風呂のときも思ったけど、お母さんはこの数日であきらかに痩せ細っていた_ おととい、見つけてしまった1枚の診断書_ 『子宮頚がん』 怖くて検索はしなかったけど、もうお母さんとは長くいられないかもって、それだけしか考えられなくなった_ 授業中も考えてしまって、彼氏といてもうまく笑えないから、今日、彼氏にお母さんのことを相談した_ そしたら彼氏は、俺のことはいまはいいからって、来週予定していたディズニーのチケットを取り出した_ 『いまはとにかく、お母さんのそばにいるべきだよ』 そう言って彼氏は『お母さんとさ、ディズニー行って来なよ』と、チケットを渡した_ 『お土産、待ってるから』 優しく微笑む彼氏を、私は何も言わずに抱きしめた_ キッチンで、お母さんのエプロンが揺れていた_ 中学のときに作った、ミルク色のエプロン_ 「ねえ、お母さん」 私は、エプロンの紐を引っ張った_ 「んん?」お母さんは食器を拭きながら、横顔を見せた_ 「ディズニー、行かない?」 お母さんは手を止めて「え、3人で?」と、笑った_ 「違う、お母さんとふたりで」 「ええ、彼氏と行きなよ、仲直りするんでしょ?」 「ううん」私は、お母さんの目を見つめた_ 「彼氏とは、別れてないよ」 お母さんは笑って「やっぱり?」って、私の前髪をぐしゃぐしゃに撫でた_ 「そんな嘘つかなくても、一緒にお風呂入ったのに」 「ううん……」私は、お母さんの手に触れた_ 「いまは、お母さんといるのがいちばんだから」 ミルク色の爪が、お母さんの手の中で光った_ 視界がぼやけて、お母さんの鼻がおでこに触れた_ 「大人になるのはまだ早いよ」 お母さんの笑った息が、まつ毛を揺らした_ 「ちょうどいま有休とってるし、お母さんも来週は大人をやめて、ディズニーではしゃいじゃおっかな」 お母さんと目が合って、私は笑った_ 「じゃあ、お母さんもカチューシャつけてね」 「あたしが?」 「うん、私とお揃いのやつ」 「どうせさあ、写真とか撮るでしょ?」 「うん、彼氏にも見せたいし、インスタにも上げるよ」 「ねえ」 お母さんは、くちびるをとがらせた_ 「ディズニー行くときもさ、お母さんがネイル塗り直してね」 私は、お母さんのくちびるに指を当てた_ 「あ」 「ねえ、いま鼻に付いたよね」 お母さんの鼻が、ミルク色に染まった_ 「ねえ、あんたにも付けさせて」 「わざとじゃないって」 お母さんと久しぶりにリビングで追いかけっこをした_ 「ほらほら、こっち向きなって」 「ねえ、待って汗かくって」 ソファに倒れ込むと、お母さんが飛びついて来た_ 「はい、捕まえた」 お母さんの手が、私の手に触れた_ 「まだまだ子どもだねえ」 「お母さんだって」 塗り変えたミルク色のネイルが、 またふたりのことを笑わせてくれた_ 2026/03/03に公開2,000,000 回視聴 5.5%98,90027117時57分、電車で元カレをみた_ 寝ぐせが電車に揺られていて、思わずニヤけてしまった_ 吊り革を掴む彼の手首にはヘアゴムが付いていた_ それは、私があげたオレンジ色のヘアゴムだった_ 別れる1ヶ月前、 私は、彼好みのショートにした_ 『ヘアゴムもう使わないし、あげる』 そのときにあげたヘアゴムが、彼の手首には付いていた_ 私の髪はもう、結べるくらい伸びていた_ いまは、ピンク色のシュシュで結んでいた_ 恋愛も髪の毛も時間が経てば伸びるし、伸ばせばまた結べるなんて、そんな甘い考えはなかった_ だから私は、彼に背中を向けた_ 本当は、就活のあとだったからメイクも整っていたし、スーツ姿を見たがっていたから、反応を見てみたかった_ でも私は、つぎの駅で降りることにした_ 駅のホームに降りると、しばらく電車は停車した_ 扉が閉まって、電車が動き出した_ 『いつかどこかで会えたときは、ふつうに話しかけてね』 彼と別れ際に交わした、ちいさな約束_ 軽く結んだ約束だったから、私は守らなかった_ だって貴方はまだ、私を手首にぶら下げていたから_ もし貴方に未練がなければ、私は話し掛けたかもね_ でもね、 もしふつうに話かけて、 笑った顔なんかみたらさ、 また結ばれそうで怖いって_ 貴方を嫌いになったわけではなくて、貴方との思い出を綺麗なまま、走らせておきたいだけ_ 偶然乗り込んだ、17時57分の電車_ もう私は乗ることはない_ あんなに流した涙はもう、髪の毛先で隠せなくなっていた_ 伸び切った髪は、新しいヘアゴムが宙に浮かせていた_ 「幸せになってね」 私の空っぽなセリフは、真っ暗なトンネルが吸い込んで、電車の音と一緒に、彼も遠くへと消えていった_ 2026/03/02に公開68,400 回視聴 3.28%2,0854「左手出して」 「なんで?」 さっきまで別れ話をしていたのに、彼氏は笑いながら私の薬指にふれた_ 「ここにさ」 「なに?」 「残ってる」 爪には、剥がれかけのネイルが残っていた_ 「いいよこれくらい」 私は、指先を丸めた_ 「最後くらい、俺が綺麗にするよ」 本当は彼氏と、このまま同棲を続けていたかった_ 「ここ座って」 彼氏は絨毯を撫でて、除光液を手にした_ でも私の内定が東京に決まって、彼氏にはあと2年大学が残っていた_ 「これくらい?」 彼氏は除光液をコットンに染み込ませながら、私を見上げた_ 「うん、合ってる」 私は絨毯に腰を下ろして、指を広げた_ 彼氏はいつも、デートの前日はネイルを塗ってくれた_ 「じっとしててね」 彼氏はコットンを浮かせて、笑った_ 「うん」 私は、指を伸ばした_ 「東京には、何時に着くの?」 彼氏の手は冷たくて、 「8時に出て、10時半」 眉間に、シワが寄った_ 「意外と近いね?」彼氏は下を向いて笑った_ 「ぜんぜん遠いって」私は首を振った_ 「まあ、いつでも戻って来たら連絡してよ」 除光液の匂いがして、 「うん……」私は軽く頷いた_ 『東京には、ぜったい行くべきだよ』 ウェディングプランナーの内定が決まったとき、彼氏は私よりも前向きだった_ 『この部屋ともお別れしないとね』 何度も話し合ったけど、彼氏は私に合鍵を返した_ 私の夢のためなのか、毎日一緒に居すぎたせいなのか、わからないまま今日を迎えた_ 「新しい家、すぐそこのアパートにしたよ」 彼氏は、コットンを丸めながら言った_ 私は、もとに戻った爪を見つめた_ 「ありがとう……」 「ううん、また綺麗に塗り直してね」 彼氏は、除光液の蓋を閉めた_ 「うん」私は、髪を耳にかけた_ 「あのさ」 「うん」 「なんでいつも、俺に左手を頼んだの?」 彼氏は、私の左手を見つめて言った_ 「右利きじゃん?」首を傾げて、彼氏は笑った_ 私は、左手を見つめた_ 「んん、なんとなく」 本当は、いつかこうして彼が左手に触れて、指輪を通す未来を想像していたからなんて、口にはできなかった_ 私は、彼に手のひらを向けた_ 初めて彼の手に触れたのは、喫茶店の窓際でだった_ 『指、きれいだね?』 褒められたことのなかった私は『ちっちゃいから見るな』って、マグカップの底で顔を隠した_ そのとき彼は『そうかな?』と、私に手のひらを向けた_ そこで初めて、彼の手に触れた_ 明るくなり始めたリビングで、同じように彼と手のひらを合わせた_ 指の隙間でまた、彼が優しく微笑んだ_ 指が離れて、ふたり同時に手を振った_ ふたりで過ごした日々が、剥がれていくのがわかった_ 『東京?』 『うん、2年くらい研修で』 『まじか……』 『ここから通おうかなって』 『それはさすがにキツくない?』 『やっぱ、キツいかな……』 『うん、大変だよ……』 本当に大変なのは、 ふたりが会えなくなることだったのに、 『俺、待てるからさ、ぜったい東京には行くべきだよ』 彼は言った_ 『2年だよ?』 2日会えないだけで泣いてた人が、 『うん、待てる』 強がるから、 『私は不安だよ……』 『じゃあ、なくそう』 『え?』 『別れよ』 『え……』 『それがいいよ』 『うん……』 『わかった……』私も、強がった_ 「雨、止んだね?」 「うん、晴れたね」 最後にふたりで、ベランダでココアを飲んだ_ 「ほんとに寝ないで行くの?」 「うん、飛行機で寝る」 灰色の空には、虹がかかっていた_ 「となりの人、笑っちゃうんじゃない?」 「なんで?」 「寝言よく言ってるし」 「は、言わないし」 「昨日も言ってたよ?」 「なんて?」 「覚えてない」 彼はすこしだけ笑って、 「寝ぼけてたのかも、俺」 と、遠くを見つめた_ 「ぜったいそう」 私も虹を眺めながら、 『左手、あけておくからね』 昨日の寝言を、笑顔の奥にしまった_ 2026/02/27に公開38,200 回視聴 1.9%6743「コンタクトケースある?」 「あるけど」 彼女はいつも裸眼だった_ 「あれ、コンタクトしてたっけ?」 俺は、ソファから腰を浮かせた_ 彼女は浴室に向かいながら「ううん、カラコンのやつ」と、濡れたままの髪を耳にかけた_ カラコンをつけた彼女を、うまく思い出せなかった_ 「新品じゃないけど」 そう言って彼女は、青色のコンタクトケースを見せた_ 俺は、ケースから目を逸らした_ 「どうしようかな、下のコンビニ売ってるかな?」俺は目尻を押さえながら聞いた_ 「たしか、売ってたはず」 「じゃあ俺、行って来ようかな」 俺は、テーブルの上のスマホを手にした_ 「いいよ、私が行って来る、お風呂済ませてて?」 彼女はそう言って、ドライヤーのスイッチを入れた_ 「いいの?」 俺は洗面台の鏡を覗き込んだ_ 「うん、乳液も切らしてたし、ついでに買って来る」 彼女は下を向いて、ドライヤーを前髪に当てた_ 「じゃあ、お願いしようかな」 「うん、お腹空いたし早く入ってきて」 ドライヤーの生温い風が、ほほに当たった_ 「じゃあ、バスタオルはそこにあるからね」 玄関の扉が閉まって、俺は鏡の前でコンタクトケースを見つめた_ 眉間にシワが寄って、俺はリビングに逃げ込んだ_ 床に手をついて、絨毯に寝転がった_ ソファの下に、なにか紙切れが見えた_ 手を伸ばして引き寄せると、それは1枚の写真だった_ そこには、彼女がこっちを見て笑ってる姿が映っていた_ この部屋で撮られた写真で、鏡越しに男の人も映っていた_ 「やっぱり……」 俺は写真を裏返して、ソファの下に戻そうとした_ 「え……」 写真の裏には、文字が書いてあった_ 『2025.2.15』 『ここに手紙を書いてるのは、もし明日、俺が起きなかったときのためです、まずは会いに来てくれてありがとう、そして、入院してることを黙っててごめん』 1年前に書かれた、男の人からの手紙だった_ 『別れてから気づいた、最期までふたりで居たいなって、いまさらだけど、もし許してくれるのなら、もういちど俺とやりなおしてほしい』 そこまで読んで俺は、ソファに顔を伏せた_ 彼女はよく、職場の駐車場で泣いていた_ 見かける度に俺は、車の窓をノックした_ ハンドルから顔を上げる彼女に、俺はいつもホットコーヒーを揺らして見せた_ 3回告白をして、3回とも振られた_ 4回目は、彼女からだった_ 『こんな私でいいなら……』 ソファの上で俺は、頭を強く押さえた_ 首を横に振ると、視線の先に光る何かが見えた_ 顔を近づけると、ソファの隙間にピアスが挟まっていた_ それは、写真の中の彼が付けていた黒のリングピアスだった_ 眉間に力が入って、手を強く握りしめた_ 天井を見上げて俺は、唇を噛み締めた_ この部屋で1度、彼女が元カレの話を切り出したことがあった_ そのときは俺は『やめて、なんか聞きたくない』と、ドライヤーを始めた_ あのとき向けた背中のせいで、彼女は元カレのことを言い出せずにいた_ 「あれ? お風呂は?」 玄関から彼女の声がして、俺は慌てて背中を向けた_ 「まだ入ってないの?」 テーブルに鍵を置く音がして、俺は「早かったね」と、まぶたを擦った_ 後ろからボディソープの匂いがして、彼女が俺の頭に触れた_ 「風呂キャンするの?」 彼女は笑いながら、俺の頭を撫でた_ 俺は首を振って、顔を塞いだ_ 「なんか今日、キツくてさ」 「ほらあ、残業のしすぎだよ」 そう言って彼女は、俺の顔を覗き込んだ_ 「お風呂入ったらさ、これ食べよ?」 ひざの上に、買い物袋を乗せた_ 「ハーゲンダッツ、新作出てたよ」 中にはふたつ、アイスが入っていた_ 袋の中で、水滴が光った_ 俺は、まぶたを押さえた_ 彼女の手を握って、首を横に振った_ 「ねえ」彼女が耳もとで笑った_ 「どうしたの」後ろから抱きしめて来た_ 俺は、ちいさく口を開いた_ 「あいす……」 うまく声が出せなくて、肩が震えた_ アイスが傾いて、彼女のほほが背中に触れた_ 「うん、早くアイス食べよ」 視線の先には、元カレのピアスがあった_ 俺は振り返って、彼女のことを抱きしめた_ 「愛してる……」と、顔を伏せた_ 彼女は頭を抱き寄せて、 「アイスってそう言うこと?」 と、耳もとで笑った_ そのあと、ふたりでお風呂上がりのアイスを食べた_ 眉間にシワを寄せてカップをつつく彼女は、職場とは違って柔らかい表情をしていた_ 俺と目が合って「ほしいの?」と、彼女はスプーンを差し出した_ 俺は頷いて、口を開いた_ 「抹茶、苦手じゃなかったの?」 「ううん、今日好きになるつもり」 俺は、スプーンを咥えた_ 付き合って3ヶ月、 俺は、 いまはいない元カレのことも、 置き忘れたコンタクトケースのことも、 彼女のすべてを愛することを決めた_ ただ、 ソファの隙間で光るピアスのことだけは、 まだ、口に出すのは怖かった_ 2026/02/25に公開321,200 回視聴 1.48%4,4248「これ、だれの?」彼氏が、運転席の下からピアスを見つけた_ 「え?」信号は赤だった_ それは、前の彼氏のピアスだった_ 「探してたやつ、新しく買って失くしてたの」 私は、嘘をついた_ 「黒のリングピアス、ギャップがあっていいじゃん」彼氏はピアスを見つめて、笑みを浮かべた_ 「青になるよ」私は、彼氏の肩を叩いた_ きっと彼氏は気づいてる_ 『これだれの?』なんて、まず聞き方がおかしい_ 「ちょっと、喉乾いたから飲み物ほしい」 私はコンビニを指差した_ 「寄ってこうか」 彼氏はコンビニに車を停めて、もう1度ピアスを眺めた_ 私はシートベルトを外して「なにがいい?」と聞いた_ 彼氏は「コーヒー」とつぶやいた_ 私はコンビニに向かいながら、正直に言おうか迷った_ 別に未練がなければ、すんなり元カレのピアスと言えたはずだった_ それなのに私は、嘘をついた_ コーヒーを2本買って、車に戻った_ 「あれ? ブラック?」彼氏が私の手もとを見て笑った_ 「あ、ごめん、ブラック飲めないんだったね」 私は慌ててコンビニに戻ろうとした_ 「待って、いいよ」服を掴まれて、振り返ると彼氏が手を伸ばしていた_ 「ブラックでいい」彼氏はそう言って、コーヒーを指差した_ 「いや、買いに行かせて?」私は彼氏を見つめた_ 彼氏は首を振って「とりあえず、座って?」と、助手席を叩いた_ 私は車に乗り込んで、息を整えた_ 「いただきます」彼氏はそう言って、ブラックコーヒーを開けた_ 天井を見上げて、一気に飲み干した_ 「いやあ、やっぱ苦いね」と、笑った_ 「前の彼氏さん、舌が大人だね?」 彼氏は缶を揺らしながら、口角を上げた_ 私は口を開けたまま、動けなくなった_ 「俺にもさ、前の彼氏さん紹介してよ?」 彼氏は、ピアスを握りしめて言った_ 「ああでも、ふたりで会いに行ったら嫉妬するか」 彼氏は笑いながら、私の目を見つめた_ 私は首を振って「どこまで知ってるの……」と聞いた_ 「んん、どんな人かは知らない」 彼氏は遠くを見つめた_ 「でも、いまどこにいるかは知ってる」 1年前、元カレは病気で亡くなった_ 病気のことは、最後まで言ってもらえなかった_ それから私は、誰の言葉も信じられなくなった_ そんな私に手を差し伸べてくれたのが、いまの彼氏だった_ 職場で誰とも仲良くしようとしない私に『今日のおすすめ』と言って、毎日のようにグミをくれた_ 渡されるグミの種類が尽きる頃には、ふたりでご飯に行くようになっていた_ お互いの好きな食べ物もわかり始めたとき、私は聞いた_ 『どうしてグミだったの?』 彼氏は笑いながら『グミはね、食べると幸せホルモンが出るんだよ』と、教えてくれた_ その笑顔に、私は恋をした_ 彼氏と付き合ってからは、元カレのことを思い出すこともなくなって、ようやく私は変われたと思っていた_ それなのに、私の車から、元カレのピアスが出て来た_ そしてなぜか、私は嘘をついた_ 付き合って3ヶ月、私は助手席で涙を流した_ 「だいじょぶ」彼氏が、私のほほに触れた_ 顔を上げると、彼氏が私を見つめていた_ 涙が止まらなくて、私は彼氏の腕に顔を押し当てた_ 「いいよ、たくさん泣きな」 彼氏は、私の背中を撫でた_ 「落ち着いたらさ、元カレさんに会いに行こ」 彼氏は頭を撫でながら言った_ 「ごめん……」 「いいよ」彼氏は前髪を押さえながら「ワックス買って来ようかな」と笑った_ 「前の彼氏さんにさ、かっこいいとこ見せたいし」 彼氏はそう言って、寝癖を押さえた_ そのあと、ふたりでお墓参りに向かった_ 彼氏は、私よりも長く両手を合わせていた_ 「ねえ、そろそろ行こう?」 私は、しゃがみ込む彼氏の肩に触れた_ 「なんかさあ、ぜんぶシカトされる」 彼氏は私を見上げて、眉間にしわを寄せた_ 私はお墓を見つめて「もう来ないでだって」と、線香の横にピアスを置いた_ 「まじかあ」彼氏は顔を塞いで笑った_ 「私、もうだいじょぶだから」 私は前を向いた_ 彼氏はゆっくりと立ち上がって「いいんだよ、傷ついたままで」と、私の肩に触れた_ 「傷つかないと、塞げないじゃん」と、私の髪を耳にかけた_ 「新しいピアス、買いに行こ?」 彼氏が私の顔を覗き込んだ_ 私は、彼氏を抱きしめた_ 「うん……」 視線の先で、ピンク色のスターチスが揺れた_ 「俺の耳にもさ、ピアス開けてよ?」 彼氏は、階段を降りながら言った_ 「え?」 私は足を止めた_ 「お揃いにしたい」 彼氏は耳たぶを摘んで、笑った_ 「ええ、むりだよ」 「どうして?」 「だって、傷つけたくないもん」 私が下を向くと、「だいじょうぶだよ」と、彼氏が頭を撫でた_ 「ただ、消えない思い出がほしいだけ」と、微笑んだ_ 「ほんとにいいの?」私は、彼氏を見上げた_ 「うん、いいよ」彼氏は、目を細めた_ 線香の香りが、ふたりの鼻先を掠めた_ 「あとでさ、元カレの写真見せてよ」 「ええ、むり」 「なんでよ、俺も顔覚えたい」 「むりむり」 私は彼氏を置いて走り出した_ 「ええ、なんで?」 彼氏は笑いながら、追いかけた_ 「だって、ぜんぶ消しちゃったもん」 走り続ける私を、 「ええ、消しちゃったの?」 彼氏は嬉しそうに、追い抜いた_ 振り返って、 「俺の勝ち」と、満面の笑みで両手を広げた_ 私は彼氏に飛びついて、 「まだ終わってないから」って、 つよく抱きしめた_ 2026/02/20に公開550,000 回視聴 5.01%25,00043「タバコ、やめたんだ?」 「うん、今の彼氏が嫌って言うから」 「あれだけ俺が言ってもやめなかったのに?」 「うん、あのときはもう好きって感情はなかったからね」 「うわ、また俺、地雷踏んだ?」 元カレはそう言って、車のエンジンを掛けた_ 私は窓の外を眺めながら、服のそでで指先を擦った_ さっき、駅前で2年ぶりにタバコを吸った_ 3回目の煙を吐いたとき、ガラス越しに元カレが見えた_ 私はすぐに喫煙所を出て、元カレを追いかけた_ そこから2年ぶりに再会して、軽くドライブをすることになった_ 指先にはまだ、タバコの匂いが残っていた_ 「そっかあ、タバコやめたのね」 元カレはウィンカーを出して、都市高にハンドルを切った_ さっきタバコを吸っていたことは、バレたくなかった_ 「彼氏とはさ、いまどのくらいなの?」 「それってさ、知ってなんかあるの?」 「たしかに、別に聞くことないか」 都市高のランプが、車内をオレンジ色に照らした_ 「ちなみにさ、俺のことはいつまで好きだった?」 ハンドルの上で、元カレの人差し指が跳ねた_ 「『俺のこと好き?』って、質問してきたときだね」 「そんなこと聞いたっけ俺?」元カレは笑いながら、後ろを確認した_ 「どうせ今の彼女にもさ、おんなじように聞いてるんでしょ?」 「え、いまは逆だよ、俺のほうが聞かれちゃってる」 「私のこと好き? って?」 「うん、俺も好きだよ、って答えてる」 料金所のゲートが開いて、車内が一瞬明るくなった_ 緩やかなカーブを抜けると、海が見えた_ 港に着いて、元カレはエンジンを切った_ 「言葉にされないと不安になるって、なんかめんどくさいね」元カレは、スマホの上で親指を滑らせた_ 私もカバンからスマホを出して、カメラを開いた_ 「それ、彼氏に送るの?」 「うん」私はシャッターを押して、アルバムに写真を残した_ 「そっちも撮ってあげたら?」 「いや、俺はいい」元カレはそう言って、スマホを閉じた_ 「好きってさ、綺麗な景色を見たときに送りたくなることだと思うけど」 私はスマホを閉じて、ルームミラーに顔を近づけた_ 「本当に好きならさ、勝手に親指が動いちゃうもんだけどね」私は髪を縛りながら言った_ 「じゃあ、俺はまだ好きじゃないのかも」元カレは、鏡の中で口角を上げた_ 私はシートベルトを外して、車を降りた_ 元カレも外に出て、私のあとをついて来た_ 「なんか、タバコ吸いたくなるね」 元カレは背伸びをしながら言った_ 「タバコ嫌いにくせに」私は、遠くを見つめて言った_ それからしばらく観覧車を眺めて、同じタイミングであくびをした_ 「ここからさ、家まで遠いの?」 元カレの影が、足もとで揺れた_ 私は手もとで揺れる鍵を見つめながら「ここで解散しよ」と、カバンを肩に掛け直した_ 「え、送ってくよ?」 「だいじょぶ、家もちょうど近いし、ゆっくりしてから帰る」 「そう? そんなことしたらタバコ吸いたくならない?」 「は? もう吸わないし」 波が音を立てて、静かに引いた_ 「じゃあ、ほんとに置いてくよ?」 「うん、ばいばい」 私は軽く手を振って、背中を向けた_ 足音が遠くなって、地面が光った_ タイヤの擦れる音がして、足もとが赤く照らされた_ 車の音が聞こえなくなるまで、私は目を閉じた_ 潮風が吹いて、髪の毛先からタバコの匂いがした_ さっき、タバコを吸ってしまったのは彼のせいだった_ 彼氏なんかまだいなかったし、タバコをやめることになったのも、ぜんぶ彼のせいだった_ 喫煙所で、やり直したい未練ごと、煙と一緒に吐き捨てたはずだった_ それなのに、いまもまだ目の前を漂っていた_ 真っ暗な海の上には、観覧車がキラキラと浮かんでいた_ 私はスマホを開いて、トーク画面に触れた_ アルバムの写真を選んで、 鈍感な彼に、 虹色の写真を送った_ スマホを閉じて、私は髪を解いた_ 前髪を押さえながら、息を吸った_ いつ消えるかわからない観覧車に、 そっと私は、白い息を吐いた_ 2026/02/19に公開53,500 回視聴 3.16%1,6001「たばこは?」 「やめた、いまの彼氏が嫌がるから」 助手席で元カノは、前髪を気にしながら嘘をついた_ さっき元カノは、駅前の喫煙所でたばこを吸っていた_ 「あんなに俺が言ってもやめなかったのに?」 「うん、いまの私、恋人のためにタバコをやめられるみたい」 相変わらず元カノは、嘘に本当を混ぜるから騙されそうになる_ たばこは嘘で、彼氏は本当_ 「なのに、助手席乗ったんだ」 さっき俺は、元カノが喫煙所を出たタイミングで声をかけた_ 2年ぶりの会話はすぐに弾み、少しドライブをすることになった_ 「だってあっちも、元カノと会ってたことあるし」 「なにそれ、詳しく聞かせてよ」 「なんで嬉しそうなわけ?」 「だって、元カノにはできるだけ不幸でいてもらいたいじゃん?」 「ほんと、ひねくれた性格してるね」 「だってさ、元恋人には幸せになってほしいとかみんな言うけど、あんなの嘘でしょ、もしさ、俺がいま幸せそうだったらムカつくでしょ?」 「うん、かなりムカつく」 「それで、どこに向かえばいいの?」都市高を走りながら俺は、音楽を停めた_ 「どこでも、適当に」 「じゃあ、海ね」 観覧車の見える港に着いて、俺はエンジンを切った_ 「それ、彼氏に送るの?」 「うん」元カノは、観覧車にスマホを向けながら頷いた_ 「そっちは? 撮らないの?」 「うん、別に俺はいい」 「ああね、彼女から疑われるのが怖いんだ」元カノは鼻で笑いながら、車のドアを開けた_ 俺もシートベルトを外して、車を降りた_ 「なんかさ、タバコ吸いたくなるね」 俺は、ポケットに手を入れながら遠くを見つめた_ 「タバコ、嫌いなくせに」 元カノは空を見上げながら、白い息を吐いた_ それから30分くらい夜景を眺めて、ふたりとも同じタイミングで車に目を向けた_ 「ここから家まで遠いの?」 俺は車の鍵を揺らしながら聞いた_ 「あ、送らなくていいよ」 「え?」 「ちょっとここでゆっくりしてから帰る」 「そんなことしたらさ、タバコ吸いたくなるよ?」俺は、笑いながら言った_ 「は、吸わないし」元カノは前髪を掻き上げて、背中を向けた_ 「じゃあ、ほんとに置いてくよ?」 「うん、ばいばい」 元カノは、肩の上で左手を揺らした_ 俺はまた、夜の都市高に飲み込まれた_ 助手席には、ピースライトが落ちていた_ パーキングエリアに車を停めて、俺は車を降りた_ 駐車場からは、さっきの観覧車が見えた_ 『綺麗な景色を見たときに、送りたくなる人が本当に好きなひと』 さっき、元カノが教えてくれた_ 俺はスマホを取り出して、ラインのトーク画面に写真を貼り付けた_ すぐに手もとが震えて、元カノから写真が送られて来た_ トーク画面には、ふたつの観覧車が並んだ_ 俺はすぐに『送る相手、間違えてるよ』と送った_ すぐに既読がついて『そっちこそ、間違えてるよ』と、スタンプが送られて来た_ 俺はスマホを伏せて、空を見上げた_ 相変わらず元カノは嘘つきだった_ 俺も相変わらず、息を吸うように嘘を吐いた_ 元カノとはもう本当のことは言い合えなかった_ どうせふたりが長く付き合えたのも、うまく嘘を付き合えていたからだった_ 俺は元カノに『お幸せに』と打ち込んで、ラインをブロックした_ 液晶には、虹色に光る観覧車だけが回っていた_ ふたりの思い出はずっと、ここで廻り続ければいい_ そう願って俺は、タバコに火をつけた_ 「はやく、俺も彼女作らないとな」 ピースライトの煙が目に染みた_ 2年前に始めたタバコは、いまだに俺の口と合おうとはしなかった_ 2026/02/18に公開162,000 回視聴 3.06%4,5767「彼氏のBeReal が嫌いなんです」 「どうして?」 今日も先輩は、バイトの休憩中に私の相談を聞いてくれる_ 「彼氏のリアルが、他の女にも届くことが嫌なんです」 「なるほどねえ、それは嫌だね」 星空が見渡せる非常階段で、先輩は私に微笑みかける_ 「LINEは?」 「彼氏とのトーク画面はもう、長いこと埋まっていません」 「BeReal は1日に3回も動いているのに?」 「はい、それが連絡みたいになってるんです」 「それは、しょうがないねえ」 「ふたりのトーク画面は『おはよう』とか『おやすみ』とか、お互いに決まりきった挨拶のスタンプだらけです」 「それはマンネリってやつだね」 「そうなんですかねえ、まあ私も、BeReal の通知が来たら、率先して投稿しているんですけどね」 「あはは、それはそうだね、いつも楽しそうな写真ばかり」 「はい、彼氏に『あなたがいなくても、充分にリアルは充実していますよ』って、妬みを込めて投稿しています」 「それはちょっと、笑っちゃうな」 先輩は煙草に火をつけて、遠くに煙を吐いた_ 「もちろん私も、1年前なら『ここ美味しかったよ、今度いっしょに食べに来よう』とか、『今日は空が綺麗だよ』とか、写真を送り合ったりしていました」 「していたねえ、よく今日みたいな月が綺麗な夜には『彼氏に送るんです』って言って、月にスマホを向けていたじゃん」 「そんな頃もありましたねえ」 「俺は好きだったなあ、そんな、空の顔色を送り合う カップル」 先輩はそうつぶやいて、スマホに目を落とした_ 「あ、通知来てるよ」 「え、BeReal ですか」 スマホには、BeReal の通知が来ていた_ 「撮らないの?」 「バイト終わりに投稿します」 「ええ、ちゃんとリアルを投稿しなよ」 「そんなんじゃないんです、私のBeReal は」 私は帰り道、BeReal に写真を投稿した_ 暗い夜道で、顔色は悪かったけれど、信号の赤と自分の顔を投稿した_ 彼氏の投稿は、友達とのドライブの写真だった_ そう言えば今朝、彼氏は『友達と県外まで、スキーに行ってくる』とLINEをして来ていた_ 私は彼氏の投稿にリアクションをして、スマホを閉じた_ 家に帰り着いて、私はそのままソファで眠りについた_ ピンポンと、チャイムの音で目を覚まし、玄関を覗くと、彼氏がなぜか立っていた_ 扉を開けると「りんご」と言って、右手に持っていたりんごとポカリの入った買い物袋を私のほほに当てた_ 「顔が、りんごみたいに赤かったから」と彼氏は言って、私のおでこに手のひらを当てた_ 「あれ、熱ない」と言って、彼氏はまゆをハの字に曲げた_ 「顔が赤いから、風邪をひいたのかと思って」と言って「ひとりだけ抜けてきちゃった」と、耳の裏を指で掻いた_ 私は笑って「赤かったのは、信号のせいだよ」と、彼氏の肩をたたいた_ 彼氏は申し訳なさそうに「そんな暗い夜道を、ひとりで歩かせた俺が悪いね」と言った_ そして「ごめんね」って、私の頭を撫でた_ 「これからは迎えに行くから、LINEしてね」と、微笑んだ_ 彼氏は靴を脱いで、キッチンでりんごを擦った_ それは、私がよく体調を崩したときに「食べたい」と言って、作ってもらった擦りおろしりんごだった_ 風邪でもないのに、彼氏は私にスプーンを差し出して「ほら」って微笑んだ_ スプーンの上には、蜜色のりんごと、私にしか見せない、彼氏のやさしい笑顔が映っていた_ 「ほら、口開けて」 「いやだよ、自分で食べるから」 「いいから、ほら」 「だいじょうぶって」 「ほら」 「ちょっと、鼻に当たったって」 それは、誰にも共有できない、 真っ赤なほほをした、ふたりだけのリアルだった_ 2026/02/15に公開214,700 回視聴 3.69%7,36210「私、先輩の2番目になりたいです」水族館で私は、ふたつ上の先輩に告白をした_ 「なに言ってんの?」先輩は笑いながら、水槽を見上げた_ 「私わかってます、先輩にはいちばんがいること」 私は、ガラス越しに先輩と目を合わせた_ 「彼女さん、半年前に亡くなってますよね」 先輩の目が、微かに泳いだ_ 「心臓の病気で亡くなったこと、私聞きました」 うつむく先輩のおでこに、クラゲが心配そうに近づいて来た_ 「だから私、先輩の2番目でもいいんです、ただもっと、いろんなとこに出かけたくて」 私は、服のそでから指を出した_ 「先輩の私服姿、もっと見たいし、水族館以外にも、映画館とか行きたいし、文化祭だって一緒に回りたい、放課後は、ファミレスで勉強とか教えてもらいたいです」 私は、服のそでを強く握りしめた_ 先輩の顔が、ガラス越しにゆっくりと左右に揺れた_ 「俺は、なにもしてやれないよ」 「私だってまだ、先輩にはなにもしてあげれてないです」 水槽のあぶくが、ガラスの奥で静かに弾けた_ 「俺、気づいてるよ」先輩が、私の右ほほを見つめた_ 「ほんとは最寄り駅違うのに、同じ駅で降りてること、俺を見送ったあと、1時間以上掛けて歩いて帰ってること、俺のBeReal が上がらない日は、わざと間違えてTikTok の共有ボタンを押してること」 先輩のほうを向くと、先輩の口角が上がった_ 「辛くて顔を塞ぎそうになったとき、いつも笑わせてくれた」 先輩は、まぶたを閉じて笑った_ 「ぜんぶ、気づいてる」 先輩は、人差し指をガラスに当てた_ 「黒板の落書き、消し忘れてたでしょ?」 「え」私は、右ほほを押さえた_ 「あの落書き、みんなに見られる前にあわてて消したんだから」 おとといの放課後、私は先輩と帰るために3年生の教室に向かった_ 教室には誰もいなくて、私は黒板に落書きをした_ 先輩からラインが来て、私はそのまま教室を飛び出してしまった_ 「あの日、俺ずっと授業中そわそわしてて、写真撮っておけばよかったって、朝になっても考えてた」 先輩は、前髪を押さえて笑った_ 「あの落書きを見たとき俺、笑ってたんだよね」先輩は、ゆっくりと顔を上げた_ 「彼女と離れてからずっと、ひとりで笑うことはなかったからさ、なんか俺、驚いてしまって」 先輩は、クラゲを見上げた_ 「だからさ、2番目なんて悲しい言葉使わないでよ」 先輩のほほに、青白い光が差し込んだ_ 「私……」 私は、先輩の服のそでを掴んだ_ 「ほんとは……」 思いっきり、先輩のことを引っ張った_ 「先輩の恋人になりたいです……」 上げた視線が、先輩のほほに触れた_ 「ありがとう」 先輩は振り向いて、私の肩を撫でた_ 「いまはまだ、失う怖さしか見えてないけど、そのうち映画館でポップコーン食べたいし、キャラメルと塩味をハーフにして、遠慮なく分け合いたい、BeReal だって、通知が来たらすぐに撮れるようになりたい」 先輩の左手が、そっと私の肩から離れた_ 「見て、あの子」 指差されたほうに顔を向けると、クラゲが円を描いていた_ 「かわいい、です……」私は、クラゲを見上げた_ 口角を上げると、BeReal が鳴った_ 「あ」私は、カバンからスマホを出した_ 先輩も、ポケットからスマホを出した_ 「撮りますか……」私は聞いた_ 「うん」先輩の手が、震えていた_ 「あ、私ので撮りましょ」 私はすぐに、先輩の手に触れた_ 「こっち向いてください」 私のスマホの中で、先輩は軽く頷いた_ 先輩はすこしだけ口角を上げて、私の肩に頭を寄せた_ 「撮りますね」 「うん」 ふたりの頭の上で、クラゲが傘をひらいた_ おとといの放課後、黒板に書いた相合傘_ 並べたふたりの名前は、私の指先をピンク色に染めた_ 夕焼けを帯びたチョークの粉が、ふたりのことをキラキラと輝かせていた_ 「いい笑顔」 私は、画面を見つめて笑った_ 「うん、ほんとよく撮れてる」 先輩は、まぶたを擦りながら頷いた_ 「でもさ、すぐに消えちゃうんだよね」 先輩は、背中を丸めて言った_ 「そんなすぐには消えないですよ」 私は、先輩の背中を撫でた_ 先輩のほほに、ひと筋の光の粒が流れた_ 「あ、スクショしときますよ」 私はあわてて、シャッター音を鳴らした_ 「これでだいじょうぶです」 画面を向けると、先輩は床にしゃがみ込んだ_ 両手で顔を塞いで、肩を震わせた_ 初めて来た夜の水族館で、先輩は涙を流した_ 初めて私のとなりで、先輩は涙を落とした_ それはきっと、ここにいない人に向けた涙だった_ それでも私は、先輩のとなりにいたかった_ 鼻先が触れ合えなくても、その手を繋げなくても、私は先輩のとなりにいたかった_ いつ先輩が壊れてもいいように、私は平気なフリをし続けていたかった_ 高校1年生の春、私は先輩と初めてBeRealを撮った_ それは、一生消えることのない、1番近くなれた思い出だった_ 深夜2時、 『スクリーンショット 1』 布団の中で、元彼の名前が光った_ 液晶の上で、私の親指が微かに跳ねた_ やっぱり私は、 「2番目が、ふさわしい……」 失った恋の中にいた_ 私もまた、 先輩と同じ、 真っ暗な深海の中にいた_ 2026/02/14に公開140,646 回視聴 4.78%6,07711『1時間だけ、ライン解除してほしい』元カレのBeReal にコメントを付けた_ 30分後、ラインが来た_ スタンプひとつだけだったから、私はテスト勉強を止めてベッドに横になった_ ベランダから漏れる明かりを眺めながら、なんて返そうか親指を悩ませた_ 『あのね、おばあちゃん覚えてる? 中学のときによく会いに行った糸島のおばあちゃん、おばあちゃんがさ、入院しててさ、なんかあんたに会いたいって、私たちが別れたことは言えてなくて、どうしようかなって』 スマホを天井に向けて、私は打ち込んだ文字を口に出して読んでみた_ 「会ってあげてほしいんだけど、どうかな……」ちいさく、つぶやいた_ 目を閉じて、スマホを胸に当てた_ 息を整えて、送信ボタンを押した_ 「お、いた」後ろから声がして、振り返ると彼がいた_ ふたりのあいだを幼稚園児が駆け抜けて、彼がすこしだけ笑みを浮かべた_ 病院からすこし離れた公園には、大きな噴水があった_ そこの前で、彼と待ち合わせをした_ 「久しぶり」 「うん、なんかごめんね」 「ううん、おばあちゃんどうしたの?」 「去年の夏頃かな、自宅の玄関で転んじゃって、そこから半年くらい入院してる」 「そっか」 彼は頷きながら「どっち?」と、公園を見渡した_ 「こっち」私は、団地のほうを指差して歩き出した_ 「それにしてもさ、俺が最後に糸島行ったのって1年前とかだよね? よくおばあちゃん俺のこと覚えてたね?」 「うん、なんかね、おばあちゃん入院してから認知症っぽくなっててね、それなのにあんたのことだけはまだ覚えてるみたいで」私は、横断歩道の押しボタンを押した_ 「そっか、なんかうれしいな」 彼は、信号を見上げながら笑った_ 「やっと最近、春らしくなってきたね」 「うん、ニット着て来たの失敗だった」 「俺も、ヒートテック着てるからめっちゃ暑い」 団地を抜けると、遠くに病院が見えた_ 「それ、わざわざ買って来たの?」 私は彼の右手を指差した_ 「うん、いちおう花を買って来たけど、花瓶とかある?」 「うん、あるよ、きっとおばあちゃん喜ぶと思う」 それから彼と、おばあちゃんの病室に向かった_ 向かってる途中、彼は仕切りに花を気にしていた_ その度に私は、彼の横顔を確認した_ 別れてから2ヶ月、彼はすこしだけ大人っぽく見えた_ 高校はどう? とか、新しい彼女とはどう? とか、聞きたいことは山ほどあったけど、いまは聞かないでおくことにした_ 「わあ、身長伸びたね」病室に入ってすぐ、おばあちゃんが彼の名前を呼んだ_ 手を叩いて、私たちをベッドのそばに座らせた_ 「お久しぶりです、お花持って来ました」彼は笑みを浮かべて、花をおばあちゃんに見せた_ それから私が花瓶に水を入れに行っているあいだ、彼はおばあちゃんと話をしていた_ 「聞いたよ、ふたりとも高校離れたんだってね」 私が花瓶を窓際に飾ると、おばあちゃんが背中を叩いた_ 「うん、そうなの、だから今日は久しぶりに会ったの」私はそう言って、彼の目を見つめた_ 「ね?」 「うん」彼は目を細めて、おばあちゃんと目を合わせた_ 「ほら、あの前にくれた写真、そこの引き出しに入ってるよ」おばあちゃんはそう言って、引き出しから写真を取り出した_ 「ああ、BeReal のスクショのやつだ」私は写真に顔を近づけた_ 「うわ、懐かしい」彼も写真に顔を近づけた_ 写真には、私とおばあちゃんが顔を寄せ合っていて、その後ろで彼が親指を立てていた_ 「なんかふたりともまだ中学生って感じだね」私は笑いながら、彼の横顔と比べた_ 「うん、なんか糸島の空気思い出す」 それからおばあちゃんと折り紙を折りながら、2時間くらい中学のときの話をした_ 「じゃあ、おばあちゃん、ちょっと見送って来るね」 「はあい、またね」 おばあちゃんは彼に、折り鶴を渡した_ 「また、来ます」彼はそう言って軽く頭を下げた_ 「今日はありがとね」 「ううん、ずっと勉強ばっかしてたから、久しぶりにこういう日を思い出せてよかったよ」 病院の前で彼は、折り鶴を手に遠くを見つめた_ 「なんか、このあとご飯とか奢ろうか? お腹空いてる?」 「んん、いやいいかな」彼は笑って、スマホを確認した_ 「そっか、じゃあまたなんかあったら連絡するね」 「うん、そうして」彼はスマホを閉じて、私に目を向けた_ 「あ、でもさ、ラインのブロック」 「あ、そうだった、繋げとくのはこれまで通りBeReal だけにしよ」 私はそう言って、スマホを見つめた_ 「さっきさ、3人で撮ったBeReal 送ろうか?」彼はスマホを開いて、画面をスクショした_ 「はい、エアドロするよ」 差し出された彼のスマホに、私はスマホを近づけた_ 「ありがと」 「ううん、もしさ、彼氏が嫌がりそうなら消していいからね」 「え、やっぱりこの前の水族館のやつ見たの?」 「うん、クラゲと撮ってたね」 彼は、私の目を見つめて笑った_ 「ええ、見たならさ、なんかリアクションしてよ」 私は、スマホを揺らした_ まだ付き合えてないとは、言えなかった_ 「じゃあ、そろそろ行くね」彼がスマホを、顔の横で軽く振った_ 「うん、勉強頑張ってね」 「うん、元気でね」 それから私は病院に戻って、おばあちゃんとすこし話をしたあと、帰り道の途中で肉まんを買った_ 公園でさっき貰った写真を眺めながら、肉まんをひとくちだけかじった_ 「あ、これ」私は、画面に顔を近づけた_ 端に触れると、丸い粒の花が、ピンク色の頭を寄せ合っていた_ その花の名前を、私は1文字も思い出せなかった_ ただひとつ、 ずっと前に、昼下がりの公園で、芝生に寝転がった彼が口にした7文字の花言葉、 『この花、俺らみたいだね』 それだけは、親指の先に残っていた_ あたたかい陽だまりの中で、 彼が教えた色あせない花言葉だけが、 優しく光を放っていた_ 2026/02/07に公開311,533 回視聴 2.15%6,2197元カノのBeReal に、男の人が映っていた_ 俺はすぐにスクショした_ 画面の端には、クラゲも映っていて、水族館で撮られた写真だった_ 「ねえ、いまなに撮ったの?」 「え?」顔を上げると、彼女と目が合った_ 放課後のファミレスには、ほかにも3組くらいクラスメイトがテスト勉強をしていた_ 「いまスクショしなかった?」 「え、ああ、友達のBeReal 」俺は、床に落ちた消しゴムを拾いながら言った_ 「友達?」 「うん、中学の友達がさ、水族館行っててクラゲも映ってたからつい」 俺は、テーブルの上に消しゴムを置いた_ 彼女は溶けかけの氷をストローでつつきながら「え、でもさ」と、こっちを向いた_ 「BeReal って確か、スクショしたらバレるんじゃなかった?」 「そうなの?」俺は、スマホに視線を落とした_ 「あ、でも違うかも、なんか最近変わったとかも聞くし」彼女はそう言って、グラスの水滴をなぞった_ 「なに? 焦った?」彼女が、俺の目を見て言った_ 「ううん、焦ってないよ、卒業してから全然連絡取ってないし、もしバレてたら気まずいなって」 「ああね」彼女は頷きながら、テーブルに肘をついた_ 「私も見たいなあ、クラゲ」 「え、さっきの写真?」俺はスマホを見つめた_ 「違うよ、水族館行きたいなって」 「ああ、そう言うことね、行こう行こう、たしか電車で40分くらいだったよね」 「行ったことあるの?」 「うん、幼稚園のとき? かな」 「へえ」 彼女はまつ毛を触りながら、天井を見つめた_ 「そう言えばさ、この前買ったキーホルダー、どこやったの?」 「え」 「あのゴリラのやつ」 「ああ、あれは部屋に飾ってるよ」 「なんで?」 彼女のカバンには、動物園で買ったパンダのキーホルダーが付いてた_ 「俺もカバンに付けたかったけど、落としたら怖いから部屋に飾った」 「それってさ、私は大切にしてないって言いたいの?」 「いや、そうじゃないよ」 「そう言うことでしょ」 彼女は教科書を閉じて、カバンにしまった_ 「どうせさ、さっきのスクショも、友達になった元カノなんでしょ?」彼女はカバンを閉めながら言った_ 「いいんじゃない? そうやって元カノと仲良くしてれば、滅多にないもんね、別れたあとも友達でいれるなんて」 グラスの水滴が、テーブルに落ちた_ 「私、今日はもう帰るね、なんか疲れた」 「え」俺は腰を上げた_ 「待って」 声を掛けたけど、彼女は振り返ることなく歩き出した_ 俺はあわてて教科書とノートをカバンに詰めた_ 伝票を手に追いかけた_ 彼女は止まることなく扉を開けた_ 「待って」 会計を済ませて、俺は急いで外に出た_ 「ちょっと待って」 彼女の足が止まって「なに?」と、彼女が振り返った_ 「ゴリラのぬいぐるみ、本当はさ……」 「もういいって」 彼女はカバンを掛け直して、歩き出した_ 冬休みに入ってすぐ、彼女と動物園に行った_ 帰りの売店で彼女が『このゴリラ、なんか雰囲気が似てない?』と、キーホルダーを手に取った_ 『なんか、無表情なくせにほっとけない感じが似てる』と、俺の顔にゴリラを近づけた_ そのあと、『私だったらどれに似てる?』と聞いてきたから、俺は『じゃあ、よくファミレスでも寝転んでるから、これ』とパンダを選んだ_ 曖昧なことを嫌う彼女によく似た、白と黒がハッキリとしたパンダだった_ そのあと、お互いのカバンに付け合ったパンダとゴリラは、俺のカバンにはもういなかった_ 曲がった先の交差点で、彼女が信号を見上げていた_ 俺は立ち止まって「ごめん」と、頭を下げた_ 「なにが?」 顔を上げると、彼女と目が合った_ 「さっきのスクショ、変だったよね」 俺はスマホを握りしめた_ 「なんか、元カノが幸せそうにしててさ、俺もこうやってBeReal 撮りたいなって、俺も見せつけたいなって思っちゃった、あまりにも見た目が変わっててさ、ついスクショしてしまった、ごめん」 頭を下げると、彼女の影が足もとで揺れた_ 「じゃあ、ゴリラは?」 俺は、顔を上げた_「あ、あれは」カバンのチャックを開けた_ 「お揃いにしたくて……」パンダのキーホルダーを取り出した_ 「なんで同じの持ってるの?」彼女のカバンで、同じパンダのキーホルダーが揺れた_ 「ゴリラもよかったけど、やっぱり同じやつがよくて」俺は、パンダを握りしめた_ 「え、買いに行ったの?」 「うん……」 「ひとりで?」 「うん……」 「いつ?」 「今日の朝」 「なにしてんの?」彼女は笑って、俺の肩を押した_ 「かなり恥ずかしかった……」 「そりゃそうでしょ、だって、ゴリラみたいな人がひとりで動物園だよ? 変だって」 「だからかな、子どもとすごい目が合った」 「たぶんそれ、怖がられてたよ」 彼女は笑いながら、俺の手もとを見つめた_ 「撮る?」 「え?」俺は、彼女の目を見つめた_ 「BeReal 、さっき勉強してて撮れなかったじゃん」 「いいの……」 「うん、ほらBeReal 開いて」 そう言って彼女は、スマホを出した_ 「え、俺のも?」 「うん、どっちも、同時に撮るよ」 お互いのスマホの中で、頭を寄せた_ 「初めてにしてはいいんじゃない?」撮れたBeReal を眺めながら、彼女は笑った_ 「ごめん、俺のほうブレてた」俺は、投稿した写真を見せた_ 「ええ、それでいいじゃん」 「いや、できればスクショして送って?」 「ええ、どうしようかな」 彼女は笑いながら、歩き出した_ 「ねえ、送ってよ」 俺は彼女を追いかけた_ 「追いつけたらね」 「待ってよ」 「ほら、早くしないと消えちゃうよ」 「待って、早いって」 走りながら俺は、彼女の背中を見つめた_ さっき目にした元カノの顔は、もうどこかに沈んでいた_ 透明になって、心のどこかを漂っていた_ それはまるで、 クラゲみたいで、 コメント 1 今日 22:30:01 『久しぶり、今度話したいことある』 怪しい光だけを放っていた_ 2026/02/05に公開1,328,577 回視聴 2.91%35,76437「恋人のBeReal には、手もとだけでもいいから映り込みたいです」 「どうして?」 「それほど仲が良いってことを、他の女に知らしめたいんです」私はそう言って、階段の手すりに肘をついた_ 「でもさ、まずは彼氏作るところからじゃない?」先輩は笑いながら、非常階段から見える海を見つめた_ 真上にある太陽が、ふたりの足もとに濃い影を落としていた_ 「先輩って確か、彼女さんとは遠距離でしたよね?」 「うん、半年以上会えてないね」 「ええ、私だったら絶対病みます、電話とかはしてるんですか?」 「ううん、BeReal が繋がってるから、それが連絡みたいになってるね」 「それはマンネリってやつですね」 「随分とストレートに言ってくるね」 先輩は笑って、スマホを開いた_ 「あ、やっぱり、BeReal 来てる」 「えっ」 「ほら」 先輩の待ち受けには、クラゲが映っていた_ 私もすぐにスマホを取り出して、BeReal を開いた_ 「先輩は撮らないんですか?」私は、スマホを海に向けながら聞いた_ 「うん、いまはいいかな」 「なんでですか? リアルを撮らないと」 「いまの俺のリアルは、なにも撮りたくない気分なの」 先輩はそう言って、スマホを胸ポケットにしまった_ 「そろそろ授業始まるし、先に戻るね」 先輩とは学年が違うから、教室が遠かった_ どんなに私が頑張っても、授業中の先輩を眺めることはできないし、先輩のとなりの席に座れる日も来るはずがなかった_ だからせめて、先輩のBeReal に映り込みたかった_ 先輩に、遠距離中の彼女がいることはわかっていた_でも、先輩と彼女が、もう2度と会えないことも知っていた_ 『心臓の病気で亡くなったらしい』 先週、同じクラスの子から聞かされた_ いつも先輩が非常階段でお弁当を食べていたのは、半年前に亡くなった彼女のことを、受け止め切れないからだった_ 私は先輩に、もっと外の世界を見てほしかった_ 無理に忘れなくていいから、すこしだけでも顔を上げてほしかった_ 「先輩」 私は、先輩の足を止めた_ 「ん?」 先輩は振り返って、私の顔を見上げた_ 「待ち受けのクラゲ、可愛かったです」 「あ、これ?」 先輩は笑みを浮かべて、スマホを揺らした_ 「はい、先輩のくせに可愛すぎます」 「いや、これは綺麗だからしてるだけだよ」先輩は前髪を押さえて頷いた_ 「ほんと、綺麗です」私は画面に顔を近づけた_ 「うん、なんか安心するんだよね、心臓がないのに優雅に泳いでて、ずっと見ていたくなる」 先輩の親指が、青白く光るクラゲを撫でた_ 「その写真って、先輩が撮ったんですか?」 「ううん、もらったやつ」 顔を上げると、先輩と目が合った_ 「俺さ、クラゲとはまだ会ったことがなくて」 「え」私は前髪を押さえた_ 「ぜったい見に行ったほうがいいですよ?」 「そんな写真と変わらないでしょ」 先輩はクラゲを見つめて笑った_ 「変わりますよ、だって透明なのに生きてるんですよ? そんなの信じられます?」 「まあたしかに、気にはなるかな」 先輩と目が合った_ 太陽が、先輩のほほを照らした_ 「じゃあ、確認しに行きます?」 足もとの影が揺れて、先輩がスマホを閉じた_ 「俺、酔いやすいからさ、バスよりも電車で」 先輩の口角が、ゆっくりと上がった_ 「わかりました、いいですよ」 先輩のリアルに、すこしだけ映り込めた気がした_ かかとを上げると、 チャイムが鳴った_ 2026/02/02に公開188,137 回視聴 2.94%5,2629「スマホ貸して?」別れ話のあと、彼氏からスマホを受け取った_ 「BeReal 以外はぜんぶ消すね」 「え、BeReal はいいの?」 「うん、だって好きになってくれたひとだもん、見守るくらいはさせてよね」 来週、私の心臓は約2時間止まる_ 成功率97%の大手術_ 残りの3%は、もう戻って来れないと言うこと_ 彼氏をひとりにさせないためにも、私は別れることにした_ 「それ以外は全部消すけど、見たらダメなとことかある?」 「んん、アルバムの非表示とか」 「じゃあ、そこは自分でちゃんと消してね」 私はそう言って、彼氏に背中を向けた_ 真っ先に非表示を開いた_ どうせ私の心臓は止まるんだから、たとえ傷つく内容だとしても平気な気がした_ アルバムの非表示には、1枚の写真があった_ それは神社の絵馬の写真で、願い事が書かれていた_ 『手術が終わったら、俺はもう1度告白をする』 彼氏は今日まで、1度も涙を流さなかった_ 別れることに反対はしてたけど『できるだけ不安はとってあげたい』と、最終的には受け入れてくれた_ それは『もう1度告白をする』と、決めていたからだった_ 「はい、BeReal だけは残しておいたからね」 私は結局、なにも消すことができなかった_ 本当は、別れたくないのかもしれなかった_ 「元気でね」 「そっちこそね」 病院の食堂の前で、最後のお別れをした_ 歩いて行く彼氏の背中を見届けながら、私は左胸を押さえた_ 顔を塞いで、泣いてしまった_ 「やっぱり……」 手術の日は、雲ひとつない空だった_ 「久しぶりに晴れたね」 病室のカーテンが開いて、彼氏がこっちを見て笑った_ 結局私は、彼氏と別れることができなかった_ 「いつも、デートの日は晴れてたもんね」 彼氏が、私の頭を撫でた_ 「だって私、晴れ女だもん」 「ほんとすごいね」 彼氏は私の髪をぐしゃぐしゃに撫でた_ 「手術が終わったらさ、焼肉行こうね」 「そんなすぐには無理だよ」私は口角を上げた_ 「もしさ、私が戻って来れなかったとしても、BeReal だけは続けてね?」私は彼氏のほほを撫でた_ 「そんなこと言わないでよ」 「もしもの話だよ、もしそうなっても、かならずBeReal が元気を与えてくれるから」 私は彼氏の目を見つめた_ 「1日1回、通知が来たら投稿すること、みんな待ってるんだから、これだけは約束ね?」 「うん」彼氏はゆっくりと頷いた_ 窓際のカーテンが、揺れた_ きっと彼氏のことは、たとえ私がいなくなっても、誰かが掬ってくれる_ あのとき、彼氏にBeReal を教えてあげてよかった、そう思った_ 「そろそろ行かないと」私は彼氏の手を握った_ 「うん……」 「また会えるよ」 「うん……」 「泣かないでよ」 「うん……」 「ほら、顔あげて」 「うん……」 「笑って」 私が笑うと、彼氏はすこしだけ笑った_ 柔らかい日差しが差し込んで、彼氏の両腕が私の頭を包み込んだ_ 心地の良い心音が、私の口角を緩めた_ 「行ってくる」 「うん、待ってるね」 遠のいていく意識の中で、私は彼氏と初めて話したときのことを思い返した_ 『授業中、BeReal 鳴ってたよ?』 『え?』 となりの席で、彼氏が私のカバンを指差して笑っていた_ 『寝てたから気づいてなかったでしょ?』 『あ、だからみんな笑ってたの?』 『うん、通知音が鳴って、急に飛び起きたから先生もみんな笑ってたよ』 『うわ、恥ずかしい』 あのとき感じた胸の高鳴りは、たとえ心臓が止まろうとも、またふたたび動いてしまうほどに大きすぎるものだった_ 『俺にもさ、教えてよBeReal 』 きっとまた、彼氏が私の心臓を鳴らしてくれる_ 『うんいいよ、その代わりなんか奢ってね?』 『いいよ、じゃあ放課後、裏門で待ってるね』 生まれ変わってもまた、私と友達になってほしい_ それからもういちど、私を恋人にしてほしい_ どうかまた、あなたの映る画角に、私を残せますように だから、 「待っててね」 2026/01/29に公開217,767 回視聴 3.15%6,28410「BeReal やってる?」入学式から今日まで20回は聞かれた_ 高校生になって10日目、私はみんなに「やってない」と嘘をつきまくった_ 中学のみんなとは離れてしまったから、新しく友達を作らないといけないのに、私はクラスのみんなと繋がりを持とうとしなかった_ 今日も相変わらず、校舎の隅にある非常階段でお弁当を食べていた_ デザートのポッキーを咥えていたら、下から階段を駆け上がって来る音がした_ 「やばい、2分経つって」 現れた男の子は私に気づくことなく、踊り場に立ってスマホを構えた_ 遠くに見える海を、BeReal で撮り始めた_ 私はその後ろで息を潜めていた_ 「え……」男の子が突然振り返って「びっくりしたあ」と、口角を上げた_ 画面を私に向けて「お化けかと思った」と、内カメに映り込んだ私を拡大した_ 私はポッキーを咥えたまま「は?」と、眉間にシワを寄せた_ 「ごめんごめん、すぐに撮り直すからちょっと待ってて」そう言って彼は、またスマホを海に向けた_ 私はポッキーをかじって「BeReal そんなに楽しい?」って、聞いた_ 彼は振り返って、「ぜんぜん」って笑った_ 私は「なのに撮ってるの?」って、笑った_ 彼はスマホを見つめて「友達が入院しててさ、外に出られないからこうして撮ってあげてるわけ」と、笑みを浮かべた_ 撮った写真を私に向けて「ほら、一緒に出かけてる気分になるでしょ?」と、スマホを揺らした_ 写真には、キラキラと光る海と彼の顔が映っていた_ 私は画面を見つめて「めっちゃ真顔じゃん」って、ポッキーを揺らした_ 彼はスマホを覗き込んで「そうかな?」って、首を傾げた_ 「撮ってあげようか?」私は立ち上がって、スカートを叩いた_ 「いやいいよ」彼が恥ずかしそうに笑うから、私は手にしていたスマホを彼に向けた_ 「ちょっと」 「はい、撮った」 私は、久しぶりにBeReal を撮った_ 「送るからスマホ貸して?」 「いやいいよ」 「なんで? めっちゃいい顔してるよ、ほら」 私は踊り場に降りた_ 「いやいいよ」 「送ってあげなよ? 笑ってる顔も見たいはずだよ?」 「いやあ、なんかキラキラの押し売りみたいで気が引けるって言うか……」 「ああ、私も映っちゃってるからか、ごめんごめん」 私はスマホを閉じた_ 手すりから身を乗り出して、海を見つめた_ 「案外、BeRealも悪くないね」私は言った_ 「そう?」 「だって、気兼ねなく生活を覗けるって、ある意味いちばんいい距離感だなって」 「まあ、そうかもね」彼も遠くを見つめて笑った_ 「ほんとはこうして、一緒に見られたらいちばんだけどね」そう言って彼は頬杖をついた_ 海を見つめる彼の横顔を、私はしばらく見つめた_ 「友達が退院したらさ、ここで3人で写真撮ろうよ」 私は言った_ 彼はこっちを向いて、軽く口角を上げた_ 「いいね」そう言って、また海を眺めた_ そのあと、教室に戻った私は衝撃の事実を知ることになる_ 「え、先輩なの?」 「うん、その人、ふたつ上の先輩だよ?」 前の席のクラスメイトが、私のスマホを覗き込んで言った_ 「やば、私めっちゃタメ口使ってた……」 「ええ、いいじゃん」 「いやいやよくないって」 「だって、この先輩かっこいいって有名だよ? うちらのクラスにも、もうすでに沼ってる子いるもん」 確かに、画面に映る先輩の顔はよく見るとかっこよかった_ 「でもね、彼女いたらしいよ?」クラスメイトが小声で言った_ 「え」開いた口が塞がらない私に、クラスメイトは顔を近づけた_ 「なんか、心臓の病気で亡くなったらしい」 「え……」私は、スマホを握りしめた_ さっき先輩は言っていた_ 『ほんとはこうして、一緒に見られたらいちばんだけどね』 私は、クラスメイトの目を見つめた_ 「ねえ、どうしよう……」 「なに?」 「いや、なんでもない……」 私は、写真を見つめた_ 私は今日、あんなに嫌いだったBeReal を久しぶりに撮った_ あんなに繋がりたくなかったクラスメイトと、いまこうして向き合って話すことができていた_ 明日から、学校に来るのが楽しみになっていた_ それでも私は、また明日も校舎の隅に向かってしまう_ キラキラと光る海の向こうで、先輩のことを探してしまう_ 「もしかして、恋しちゃった?」 クラスメイトの声が、私の心臓を鳴らした_ 「え……」 スマホの中で、先輩が笑っていた_ 「私……」 そんなのダメだって、わかってるのに…… キラキラと、私のほほに光が差した_ 「たぶん、好きかも……」 2026/01/26に公開1,061,245 回視聴 4.43%42,90432「BeReal だけは繋げとくね」 別れ話をしたあと、彼女が言った_ 「ラインは?」 「ブロック」 「インスタは?」 「私がアカウント変える」 「写真は?」 「ぜんぶ消す」 「ぜんぶ?」 「うん、BeReal 以外はぜんぶ」 「BeReal はいいの?」 「うん、だって好きになってくれたひとだもん、見守るくらいはさせてよね」彼女はそう言って、微笑んだ_ 「スマホ貸して?」 「え?」俺は、手にしていたスマホを見つめた_ 「どうせ自分じゃ消せないでしょ?」 「消せるよ」 「じゃあ、いま消して?」 「あとでね」 「いま」 彼女はそう言って、俺の手に触れた_ 「わかった……」俺は、彼女の手にスマホを乗せた_ 彼女はスマホを抱えて、背中を向けた_ 2ヶ月前とは違って、彼女の背中はちいさく見えた_ いま、彼女の左胸にある心臓は、ひっしに脈を打っている_ それが10日後、止まるなんて信じられなかった_ 冬休みに入る前、彼女から話があると教室に呼び出された_ 『実は私、幼い頃から心臓が弱くてね、入退院を繰り返してたの』 そこで初めて俺は、彼女の真剣な表情を目にした_ 『高校に上がってからはね、容体も安定してたんだけど、来年受験があるでしょ? その前に手術を受けておくことになって』 それは、心臓を一時的に止める手術らしく、いつかは受けないといけない手術だと彼女は教えた_ 『2時間くらい止まるんだけど、もしかしたらそのまま戻って来れない可能性もあるの』 あまりにも現実離れした話に、俺は頷くことができなかった_ 『だからね、もしそうなったとき、ひとりにさせないためにも別れておきたいの』 そこでやっと俺は、首を振った_ 『モテるんだからさ、すぐに彼女できるよ』そう言って彼女は、俺の肩を叩いた_ 『そんなの嫌だ』 『私だって嫌だよ、でも寝顔でお別れとか無理、ちゃんと可愛い私でさよならさせて』 どんなに俺が反対しても、彼女は頷いてくれなかった_ 手術がふたりを引き裂く前に、俺たちは別れることになった_ 病院のベッドで彼女は、俺がつぎの恋に進めるようにと、俺のスマホから思い出を消した_ 「はい、BeReal だけは残してるからね」 彼女から渡されたスマホを、俺は胸に当てた_ 彼女は笑って「そこで見守ってるからね」と、俺の心臓を叩いた_ 顔を上げると、彼女と目が合った_ 彼女の目には、1滴も涙が浮かんでいなかった_ 彼女の泣いてるところを見たのは、たったの1度だけだった_ 高1のとき、俺が告白をしたときだった_ きっとあのとき彼女は、こうなることがわかっていたから、涙を流した_ いつかは受けないといけない手術のことを抱えながら、彼女は俺の恋人になってくれた_ だからこそ俺は、彼女のそばにずっといたかった_ 「やっぱりさ……」俺は、彼女の手を握った_ 「だめだよ」彼女は頭を振って「そろそろご飯の時間だから行かないと」と、俺の手を離した_ 俺は「いなくなったあと、泣いたりしないよね?」と、聞いた_ 彼女はベッドから足を出して「今日は、焼肉がいいなあ」と、笑った_ 普段と変わらない彼女の笑顔に、俺は思わず「豪華すぎるよ」って、笑った_ 彼女は立ち上がって「ほら、見送って」と、俺の肩を叩いた_ 俺はスマホを握りしめて、立ち上がった_ 「もしさ、私の手術が成功したら焼肉奢ってよ」 廊下を歩きながら、彼女は言った_ 俺は笑って「友達には奢りたくないね」と、言った_ 彼女は振り返って「いつから私たち友達になったの?」と、口をとがらせた_ 俺は彼女のとなりに行って「そのほうが、長い付き合いになるでしょ」と、肩を撫でた_ 食堂は、見晴らしのいい最上階にあった_ 「元気でね」 「そっちもね」 いまの彼女には相応しすぎる言葉を、ふたりで掛け合って手を振った_ 廊下を歩きながら俺は、何度も後ろを振り返った_ 病院を出て、バス停でスマホを開いた_ 連絡先も、アルバムの写真も、どれもまだ残っていた_ 「え……」 1枚だけ、見覚えのない写真があった_ 親指で触れると、彼女の顔が映った_ 彼女はさっき、俺のスマホで自撮りをしていた_ 写真の中で彼女は、笑っていた_ でも、ほほには涙が流れていた_ 俺は立ち上がって、バス停を飛び出した_ 病院を見上げると、窓越しに彼女と目が合った_ スマホが震えて、俺は画面を確認した_ BeReal の通知が来ていて、彼女から『ちゃんと撮ってよ』とラインが来た_ 俺は、スマホを彼女に向けた_ すぐに彼女から、 『もっと近くで、可愛く撮って』と、メッセージが来た_ 俺はスマホを握りしめて、走り出した_ 階段の踊り場で、彼女が泣いていた_ 階段を駆け上がると、彼女は両手を広げた_ 俺はすぐに彼女を抱きしめた_ 彼女のおでこが、俺の胸に当たって「遅いよ」と、彼女が首を振った_ 俺の背中を抱き寄せて「2分経っちゃったよ」と、涙を拭いた_ 俺は顔を覗き込んで「また撮れるよ」と、彼女の頭を撫でた_ 彼女のお腹が鳴って、ふたりで目を合わせた_ 「お腹すいたね」 「うん、お腹すいた」 幸せそうに笑う彼女を、俺はもう1度抱きしめた_ 「焼肉、食べ行こっか」 「うん、ぜったい行く……」 彼女は、俺の耳もとで笑った_ 「ぜったいだよ」 「うん、ぜったい」 重ねた心臓は、脈を打っていた_ 止まることを知らない俺の心臓は、彼女の優しい心音を包み込んでいた_ それは、なにがあっても消えることのない、ふたりを未来に繋げる音だった_ 2026/01/24に公開1,231,895 回視聴 5.05%54,838148「荷物送るよ?」 「いやいい、新しい住所教えたくない」 別れ話をしたあと、私は玄関先に荷物をまとめた_ 「多くない?」 「だいじょぶ」 「タクシー呼ぼうか?」 「いやいい、自分で呼ぶ」 どうしても私は、時間を稼ぎたかった_ 時間が経てば、やり直せると思った_ さっき『別れよう』なんて言ったけど、本気で別れるつもりはなかった_ 年を越す15分前、私たちは喧嘩になった_ 口論のきっかけは、彼氏が『年越しの瞬間は、すぐそこの神社で迎えたい』と言い出したからだった_ 私は音楽番組を観ていたから『推しが出てからにしたい』と言った_ そしたら彼氏が『さっき紅白で観たじゃん』と、鼻で笑った_ それに腹が立った私は『それなら最初から、神社で年越しそうねって言っといてよ』と、怒った_ そこから言い合いになって、年を越す1分前になっても、どっちも謝ろうとはしなかった_ テレビからカウントダウンが流れ始めて、残り3秒になったところで、私は思わず『もう別れたい』って言ってしまった_ 0を迎える前に彼氏が『じゃあ別れよっか』と、言った_ 新年を迎えると同時に、私たちは別れることになった_ そもそも彼氏に『別れよう』って言ったのは、今日が初めてではなかった_ 喧嘩のたびに言っていたから、さすがにもう彼氏は許してはくれなかった_ ぜんぶ私が悪かったけど、どうしても引き止めてほしかった_ 「実家までいくら掛かりそう?」彼氏は、財布を出しながら言った_ 「知らない」私は、ヘアアイロンのコードを巻きながら言った_ 彼氏はテーブルの上に1万円札を2枚置いて「もし足りなかったらまた連絡して」と、言った_ 玄関のドアを開けると、近くの神社から除夜の鐘が聞こえた_ 「忘れものない?」 「うん」 私は荷物を手に、嘘をついた_ でもすぐに彼氏が「あ、待って、マグカップ」と、言った_ 私の嘘は、秒でバレた_ 「持ってくるね」そう言って彼氏は、部屋に戻った_ 私は、荷物を抱えて逃げ出そうとした_ でもすぐに「どっちがいい?」と、彼氏がキッチンから顔を出した_ 私は左を指差して「しろいやつ」と、ちいさく頷いた_ 「わかった」彼氏はそう言って、リビングに向かった_ 「はい、割れないように包んでおいた」 私はマグカップを受け取って「ありがと……」と、紙袋に押し込んだ_ 「重くない?」 「うん」 「やっぱり着いて行こうか?」彼氏の優しい声に、私は泣きそうになった_ 「いい」泣かないように、首を振った_ 「そっか」 それから彼氏は、私を見送ることなくドアを閉めた_ 鍵の閉まる音がして、私はエレベーターに乗った_ 扉が閉まって、目の前のガラスに、私の情けない表情が映った_ 初めてこのエレベーターに乗ったとき、同じところにホクロがあることに気づいて、変にふたりで盛り上がった_ そのあとふたりで描き合った似顔絵は、去年の大掃除のときに私が間違えて捨ててしまった_ いつからか私は、ふたりの思い出を大切にしなくなっていた_ 半年前に買ったマグカップだって、1度も使ったことがなかった_ 『2年記念日に買ったマグカップだって、1度も使ってないよね?』だからさっき、喧嘩の途中で彼から言われた_『ほんとは、半年前から冷めてたんじゃないの?』 テーブルの上には、青色のマグカップがあった_ いまさら、本当のことは言えなかった_ もっとはやく、素直になっておけばよかった_ 「私がマグカップを使わなかったのは、思い出を壊したくなかったからだよ……」 エレベーターを降りると、駐車場にはタクシーが停まっていた_ 呼ばなくていいって言ったのに、彼はタクシーを用意していた_ ここまで冷たくされれば、あきらめも付くはずなのに、やっぱり涙はあふれた_ タクシーの窓から見た景色は、どこを切り取っても彼との思い出であふれた_ 紙袋から彼の部屋の匂いがして、私は顔を伏せた_ 鼻にマグカップが当たって、よく見ると、画用紙が巻かれていた_ 画用紙には、捨てたはずの似顔絵が描かれていた_ 「こんなの、どこに隠してたの……」 ぐしゃぐしゃになっていたけど、ふたりの顔は変わらずに笑顔だった_ どんな思いで彼は、この画用紙をマグカップに巻いたのか_ いくら手のひらで引き伸ばしても、もうもとには戻らなかった_ ただ、彼が落としていた涙の跡は、滲んだふたりの思い出をほんの少しだけ輝かせていた_ 2026/01/23に公開219,035 回視聴 2.68%5,46713「これって浮気ですよね」後部座席でわたしは、先輩に聞いた_ 「違うでしょ」先輩は、車のエンジンを切りながら言った_ 職場のときとは違って、声のトーンがいつもより明るかった_ 「だって、もう彼氏とは別れてるんでしょ?」 「はい……」 「じゃあ、浮気ではないよ」 ルームミラーの中で、先輩と目が合った_ 「でも、あっちはまだ付き合ってるつもりでいます……」 「それはね、ただのストーカーだよ?」 先輩は振り返って、わたしの目を見つめた_ 「別れたあとも、合鍵を使って家に入ろうとするのは犯罪だよ? それに、暴力を受けていたこともちゃんと警察には相談すべきだよ」 先輩はそう言って、わたしのマンションを見上げた_ 「とりあえず、このあと俺が待ち伏せて、合鍵は返してもらうから、そのあと一緒に警察に行こ?」 先輩はスマホを手にした_ 「いつもさ、何時くらいに来るの?」 「あっちの仕事が終わるのが夜中の2時くらいなので、2時半とか3時くらいです」 「じゃあ、それまでは車で待機しとくね」 「いいですよ、まだ5時間近くあるので、わたしの部屋にいても」 「え、だいじょぶ?」 「はい」 「じゃあ、お邪魔しようかな」 それから先輩を、初めて家に上がらせた_ わたしは冷蔵庫にあったミルクティーをレンジで温めた_ 先輩は絨毯に腰を下ろして、カーテンの隙間を眺めていた_ 「どうぞ」マグカップをテーブルに置くと、先輩は湯気に顔を近づけた_ 「言い忘れてたけど俺、彼女いるから」 「え?」 漂う湯気が、ふたりの表情を曇らせた_ 「これって完全に浮気だし、もし彼女にバレたら迷惑掛けるかも」 「待ってください、彼女いるんですか?」 「うん」 「じゃあいますぐ、彼女さんに説明します」 わたしは、先輩のスマホに手を伸ばした_ 「いいよいいよ、そもそも俺が言ってなかったのが悪いし、彼女とは別れるつもりだったから」 「え……」 「もうひとつ、言っておきたいことがあって」先輩はそう言って、窓の外を見つめた_ 「実はさ、今週で俺、仕事をやめることになって」 「え」 「この前の健康診断、再検査になって、あと1年、生きていられるかわからなくて」 「待ってください……」 わたしは、床に手をついた_ 「それでさ、このことは彼女には言いたくなくて」 先輩はゆっくりと視線を下げた_ 「どうしても、彼女と別れる理由がほしくて、いまの君の状況を利用してしまった、ごめん」 「どう言うことですか……」わたしは、先輩のおでこを見つめた_ 「そのうち彼女には、病気のことはバレてしまうから、その前に心置きなくつぎに行ってほしくて、この状況を利用した」 「最低です……」わたしは言った_ 「ごめん……」 「わたしに謝らないでください、彼女さんに謝ってください、そんなの、彼女さんからしたら余計なお世話です」わたしは、先輩から目を逸らした_ 「帰ってください」 そう口にした瞬間、ガチャガチャっと、玄関から音がした_ わたしは、先輩と目を合わせた_ ドアのチェーンが引っ張られて「はよ開けて」と、元カレの声がした_ 「そこにいて」先輩はすぐに玄関に向かった_ わたしはその場から動けなくなった_ しばらく床に伏せていると、足音がした_ 顔を上げると、 「もう来ないって」と、先輩が合鍵を手にしていた_ 床にしゃがみ込んで「その代わり、俺と同棲してることになったけど」と、合鍵をテーブルに置いた_ 「いちおう、俺の車にランニング用の靴があるから、それをしばらくのあいだ玄関に置いとけば大丈夫だと思う」そう言って先輩は、立ち上がった_ 「なんかごめんね」先輩が帰ろうとするから、わたしは先輩の服を掴んだ_ 「待ってください」 先輩の足が止まった_ 「今日は、このまま泊まってください」 「え?」 「先輩が言ったんです、浮気の証拠がほしいって」 わたしは、先輩の顔を見上げた_ 「わたしと浮気をした証拠、ちゃんと作ってから帰ってください」わたしは、まぶたを擦った_ 先輩はゆっくりと腰を下ろした_ わたしの目を見つめて「最近寝てないでしょ」と、口角を上げた_ 「朝までここにいるから、今日はゆっくり寝な」と、わたしの肩を撫でた_ それから先輩は、ずっと窓の外を眺めていた_ 「やっぱり、彼女さんには説明すべきです」 わたしは、ソファに横になりながら言った_ 先輩は背中を向けたまま「それは無理」と、言った_ 「どうしてですか?」 「できるだけ、泣いてる時間を少なくしたいから」 「それだと、彼女さんは傷つきます」 「その傷が、新しい恋人を作るきっかけになればいい」 先輩はそう言って、窓の外を見上げた_ 「やっぱり先輩は、最低な人です」 それからわたしは、ひさしぶりに長く目を閉じた_ つぎに目を覚ますと、テーブルの上には置き手紙があった_ 『さっき話した病気のこと、あれはぜんぶ嘘です、本当は、あなたに好意を抱いていました、彼女がいておきながら、あなたを好きになったこと、部屋に泊まったこと、すべて彼女には話すつもりです、なので、迷惑をかけるかもしれません、それでもどうか、また安心して朝を迎える日が続くことを願っています』 そのあと、先輩は遺体となって発見された_ 2日後の午前0時のことだった_ 先輩は、踏切内で意識を失って事故に遭った_ 先輩は、本当に病気を患っていた_ そのあと届いた、先輩の恋人からのメッセージ_ 『彼とは、どう言ったご関係でしょうか?』 わたしは、しばらく考えた_ 先輩が偽りたかったのは、どこまでなのか_ 先輩が抱いてしまったわたしへの好意は、嘘だったのか_ わたしは、文字を打った_ 震える親指で、送信ボタンを押した_ 『わたしは、彼の恋人です』 それは、先輩と手を組む最低な選択だった_ そうすることでしか、わたしの密かに抱いていた未来は、叶えることができなかった_ 2026/01/22に公開71,801 回視聴 2.56%1,70371234...21>次へ×インフルエンサーコンテンツCSVダウンロードフォロワー総数、フォロワー増減数、エンゲージメント数、エンゲージメント率ダウンロード※ データには投稿ID, 投稿URL, 説明文, 再生数の他、LIKE数, コメント数, シェア数, 動画尺, 公開日が含まれます。 コンテンツをCSVでダウンロード